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金本、自分で止めた連続フルイニング記録(2010年4月19日)

 2回、ネクストに立つ左翼先発の葛城(手前)と、ベンチから戦況を見守る金本(中央)=撮影・高部洋祐

 「横浜4-8阪神」(18日、横浜)

 不滅の世界記録がついに途絶えた。阪神の金本知憲外野手(42)が18日の横浜(5)戦(横浜)で先発メンバーから外れ、1999年7月から続けていた連続試合フルイニング出場が1492試合でストップした。痛めている右肩の状態が思わしくなく自ら決断。メンバー交換前に真弓明信監督(56)に伝えた。八回には代打で登場し連続試合出場は継続。チームも主砲の無念の思いを力に変えて逆転勝利した。どんな苦境も乗り越えてきた鉄人は、これからも戦い続ける。

  ◇  ◇

 尊い歴史に幕が下ろされた。「4番」にも「左翼」にも金本のいない光景が、ついに現実となった。幕を引いたのは、ほかの誰でもない。金本自らが「決断」を下した。

 「4番、サード…」。試合前の場内アナウンスが流れると、満員スタンドがどよめいた。「…新井」。異様な空気。戸惑い。そして。「8番、レフト…」。次の瞬間、晴れ渡ったハマの空を絶叫と悲鳴が覆った。

 金本知憲の連続試合フルイニング出場が、止まった。99年7月21日の阪神戦(甲子園)から始まった世界記録は1492試合。塗り替えられることのない偉大すぎるレコードがこの日ついえた。

 「最後まで、監督もヘッドも『出てくれや』という感じだったけど、これ以上出てもチームに迷惑をかけるし、特にピッチャーに、あのスローイングじゃ、迷惑をかける。『勝つための手段として、僕は外れる』ということを伝えた」。試合後、バスへの通路を歩きながら、金本は穏やかな口調で舞台裏を明かした。

 試合90分前、三塁側ベンチ裏が急に慌ただしくなった。打撃練習後、金本は左翼の守備位置で木戸ヘッド、トレーナー陣と痛めている右肩の現状を確認。その後、真弓監督が、トレーナー室で治療を受ける金本のもとへ向かった。この時点で指揮官は「もうちょっと頑張ろう」と鼓舞。金本はグラブを携え、駆け足でブルペンへ向かった。「最後の悪あがきでね。テーピングをして、あれしてみたけど…。でもダメだったから、そこで(最終的に)決めた」。患部をテープで固定し、強めの送球を試みたが、右肩はもはや言うことをきかなかった。

 3月29日、MRI検査で棘上(きょくじょう)筋の部分断裂が判明した。右肩の持病が3月中旬の守備練習中に悪化。結局この負傷がフルイニング出場を続ける上で致命傷になった。電気、針…あらゆる手段で治療を試みたが、試合に出場しながら快方を促すには限界があった。それでも、ここまで打撃では3本塁打を放つなど奮闘。問題は守備だった。

 「悔しかった」。金本が「決断」を下すきっかけになったのは14日の巨人戦(東京ドーム)。五回、亀井の左犠飛を捕球するも本塁返球できず、山なりのボールを内野に返すのが精いっぱい。前日(17日)も得点圏で2度、本塁返球を自重した。前夜、金本は“明日の練習でだめなら…”と「覚悟」を決めた。

 逆転した八回。追加点を奪うべく「代打金本」がコールされると、万雷拍手が打席に注がれた。結果は二ゴロ。それでも、スタンドは金本の功績を大歓声でたたえた。

 金本が11年ぶりに羽を休めた。ベンチからの風景を眺めながら、金本は“次”を模索していた。シーズン中に手術を受けるつもりはない。連続試合出場は1638に伸びた。代打出場を続けながら、再びフルイニングの舞台に戻ってくる。「鉄人」の魂は、永遠だ。

(2010年4月18日)

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