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健康なら何でもできる 松浦良紀社長

2013年6月24日

 ‐効果はあったのでしょうか。

 「40歳を過ぎていますが、風邪をひいたのも5回くらいです。5人きょうだいなんですが、奇数の子の時に飲んだみたいです。丈夫ですね。これは胸を張って言えます」

 ‐テレビCMなどで万田酵素をかなり宣伝されています。

 「(経営の)やり方を変えたんです。今では想像できないと思いますが、創業の時は苦しかったんですが、調子が良くなって、その後急激に経営が悪化したんです。その時、私が(経営を)引き継いだんです」

 (続けて)

 「20年間やってきたものをもう一度、ゼロベースにして企業再生したものをどうやってお客さまに買い求めてもらおうと考えたのが、ダイレクトマーケティングです。当時の役員は、大反対だったんです」

 ◆2005年、35歳の時に創業者で父の新吾郎氏から社長を引き継ぎ不況で経営の苦しかった会社の再生に乗り出す。ダイレクトマーケティングは、見込み客や購入者に個人的なプロモーションを通して商品を販売すること。

 ‐プレッシャーもあったと思います。

 「プレッシャーというより、目の前で起こっていることをどう変えていこうかとしか考えていなかった。しんどいとかダメとか思う暇もなかった。具体的に話せば、資金繰りの毎日でした。そこには社員もいますし、その家族もいる。20年間、われわれの商品をお買い求めいただいてきたお客さまもいます。何とかしなきゃという気持ちだけでした」

 (続けて)

 「経営学なんて学んでいませんし、逆に知らなかったから良かった。なまじ分かっているとこのラインでダメなんだとあきらめていたかもしれません」

 ‐再建をあきらめたことはないのですか。

 「ないですよ。自分だけのことだとそこまで頑張れなかったかと思いますが、頑張っていた社員もいましたし、20年間単品の万田酵素だけでやってきました。やり方、販売方法だけ変えました。中身はほとんど変えていません」

 ‐万田酵素を開発した先代への敬意を示していますね。

 「おいそれとできるもんじゃないですから。完成まで23年もかかっているんです。知れば知るほどこの商品の完成度はメチャメチャ高い。これに代わるものはない」

 ‐勉強もされたと思います。

 「インフラとはとかデリバリーであったり、ITのシステムもそう。通信販売のやり方など試行錯誤しながらやりました。はじめから成功はないですから」

 ‐プロ野球が開催されるマツダスタジアムでは猛打賞の選手に商品を提供しています。甲子園など全国の球場でも「万田発酵の万田酵素」をよく耳にします。

 「われわれの製品は健康体の人を良くしていくもの。薬事法のこともあるので詳しくは言えませんが、運動能力の高い方を通じて広く知っていただきたいから」

 ‐Jリーグのサンフレッチェ広島のスポンサーにもなっています。

 「野球と比較するとよりアクティブなスポーツ。地元でもありますし、サンフレッチェさんの理念にも共感できるものがありました」

 ‐本社敷地内には植物用万田酵素を肥料にしてジャンボ大根や大きなカボチャなどを育てている「万田びっくりファーム」があります。

 「健康って形にすることができないですよね。健康というものは感覚的なもの。植物は見ためのもの。大きいとか食べればおいしいとか、五感で感じられるものがあれば(万田酵素を)もっとご理解いただけるんじゃないかというのが出発点です。もう一つは食育の場として子どもたちに提供できればと思っています。植物はウソをつかない。手を掛ければ掛けるほど大きくなる。すごくおもしろい」

 ‐農業について研究されているんですね。

 「子どものころ、家の手伝いとして農業やってますから。祖父は器用な人で宮大工をしたり、かんきつ類の苗木の栽培、販売をしていた。父は酵素の研究をやっていたし、物心ついたころから手伝いをしていました」

 ‐インテリっぽく見えますが。

 「全然。僕は泥くさいですよ。多分、2代目でボンボンに見えると思いますが、子どものころは極貧でした。お米を食べたのは中学生になってから。それまでは麦飯を食べてました。おやつはお菓子じゃなくて蜂の子ですよ。フライパンで炒めてね。父が研究に費やしていましたから」

 ‐因島に本社を置いています。

 「ここでしか製品ができない。基本的には自然発酵ですからこの環境でないとできない。本社機能はどこでもいい。でも地元に貢献する意味でもここでいい」

 ‐因島に特別な思いもある。

 「そりゃ、自分が生まれた場所ですから。先輩の東ちづるさんや後輩のポルノグラフィティも因島のことを誇りに思っています」

 ‐自転車を趣味にされています。

 「3年前にある人からしまなみ海道は全国でNo.1の景観と言われて始めました。風を切って走るのは最高です。会社にも自転車部をつくりました。上り坂の苦しさ、下り坂の気持ち良さ。寒い日、暑い日もある。山あり谷ありの人生そのものです」

 ◆万田発酵は5月に因島で行われた自転車フェス「第1回グランツール・せとうち」の冠スポンサーにもなった。

 ‐今後、どのように会社を発展させていきたいですか。

 「今の製品ラインアップよりもっとすそ野を広げたい。国内だけでなく海外展開もしたい。その一つとしてミャンマーに社員を派遣してミャンマー国の農業を通じて国力をあげていくことをやっている」

 ‐ますます発展していきますね。

 「父と母に感謝しています。再生中の睡眠時間は3時間くらいでしたが、体は壊れなかった。日ごろは健康のありがたさが分からない。体調が悪くなると健康っていいなと気づかされる。健康だったら何でもできる」

 松浦 良紀(まつうら・よしのり)万田発酵株式会社代表取締役社長。1970年12月25日、広島県尾道市因島生まれ。5人きょうだいの長男。因島高校まで地元で過ごし、大学は東京へ。28歳で同社に入社。営業職、副社長を経て2005年、35歳で現職につく。

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