たかじんさん、本当は東京が好きだった
2014年1月24日
洋七とたかじんさんとの出会いは、「‐ばぁ~」が始まった92年。「番組のプロデューサーから『(たかじんさんの)悩みを聞いて欲しい』と、電話がかかってきたんですわ。当時、携帯もなかったから、部屋の電話に。びっくりしたね。悩んだあげく、誰かに相談したいという時に、プロデューサーさんが『洋七に相談してみよか』いうことでね」。後日、本人と話した。「たかじんは同じ大阪におる芸人には悩みを言いたくなかったんやろな。『番組やめたいんですわ』が最初の相談やった。売れてきて、この先どうなるか不安やったんやろね。弾き語りから始めて苦労した時代も長かったから、この先が怖いという思いもあったんやろね」。洋七はそこで番組続行を強く進言し、その縁で「‐ばぁ~」の準レギュラーとなった。本音で語り合う間柄。洋七は今も「たかじん」と呼ぶ。
「俺は“常連客”として番組には隔週で1年間出てた。たかじんは『東京がなんぼのもんや』とか大阪では言うてたけど、俺と飲んだ時には『東京で1本でも番組やりたい』言うてた。『東京のすごい人を番組に呼びたい』言うから、俺が友だちのたけしを呼んだんや。1週間前から、たかじんは『たけしさんを連れて行く店をロケハンしてる』って準備してたよ。収録中も、いつもとは全然違った。むちゃくちゃ緊張してた。言葉使いをどうしたらいいか分からんような雰囲気やったね。たかじんにとって、たけしは先輩やから敬語やけど、後輩(年下)の俺が『たけし』って呼び捨てやから、どういう関係やと思ったみたい(笑)」。収録後、たかじんさん、たけし、洋七の3人は大阪の北新地で飲んだ。
洋七は明かす。「北新地で、たかじんは『東京で番組を持ちたい』と、たけしに相談してた。たけしも『そらそうだよね。(全国ネットの)東京でやりたいのは(芸能人なら)みんな当たり前のことだもんね」と応えてた。たかじんは東京嫌いやないですよ。やっぱり、あこがれはあったと思う。『東京のテレビに出たい』という思いは、たかじんとしゃべってて、よう分かりましたから」