国民・榛葉氏、涙を浮かべ言葉とぎれ…死去した元代表代行・大塚耕平氏しのぶ「行きつけの小料理屋は私が引き継ぐ」
国民民主党の榛葉賀津也幹事長(58)が6日、国会内での定例会見で、2日に66歳で死去した元同党代表代行の大塚耕平元参院議員を悼んだ。
記者団から、大塚氏の死について問われ「このこと聞かれるんだろうなと思ったけどね。もうひとりの自分がいなくなった感じだね」と切り出し、目を真っ赤にした。「この5年間、苦楽をともにしたのみならず…2001年、小泉(純一郎)旋風吹き荒れる中で初当選した同期」と、2001年参院選で当時の民主党から出馬し、初当選した同期だとした。
榛葉氏は「あの時は大橋巨泉さんとか、与党自民党では大仁田厚さんとかね。きのうも大仁田さんから電話がありました。民主党創成期で、今京都市長をやっている松井(孝治)さんとか、文部科学分野でがんばった鈴木寛さんとか。これはもう3人の巨匠だったんだね。大塚耕平、日本銀行(出身)。私なんてもう、雲を仰ぐような同期の優秀な仲間がいっぱいでね」と振り返った。
「私は最年少で34歳。20名弱いた仲間がみんな落選や引退をして、最後に残った2人が最も優秀だった大塚耕平と、最もできの悪かった榛葉賀津也が最後残って。衆議院が希望の党をつくって、われわれが民進党に残って…大塚さんと2人でね。どっちかが代表やるしかないなって。2人でずっと話して。『大塚さんやれよ』って。『俺支えるから』って」としみじみ語った。
国民民主党の結党メンバーだった大塚氏は、2024年11月24日投開票の名古屋市長選出馬のため参院議員を辞職。党は2026年2月8日投開票の衆院選に擁立を決めたが、大塚氏は体調不良を理由に立候補を辞退していた。
榛葉氏は「今度国民民主党できて、大塚さんが国会を去る決断をして、ふるさと名古屋のためにがんばりたいって。その、決めた夜も夜通し飲み明かしました。結果、その後、このような結果になって。古川(元久代表代行)さんとも話をして、衆議院でもう一回勝負しようよって言っていた矢先だったので。心からご冥福をお祈りすると同時に…ごめん、言葉ないね。うん、本当に残念です」と、時折言葉をつまらせた。
生前の大塚氏を「知の巨匠だったからね。歩くシンクタンクって言われたんだよ…私は歩く生だるって言われたけど」としのんだ榛葉氏。国民民主党に与えた影響を問われ「まさに魂をぶち込んでくれたね。正直で偏らない現実的な政治、大塚耕平の生きざまそのものでした。うそ偽りのない男でした。ああいう男になりたいと思って。大塚さん行きつけの小料理屋がありますが、その店は私が引き継ぎます」と語った。
(よろず~ニュース編集部)
