“鍋将軍”漆畑勝久さんからもらった「一球一心」 カープOB安仁屋宗八氏が振り返る昭和プロ野球

 広島、阪神で通算119勝をマークし、現在はデイリースポーツ評論家を務める安仁屋宗八氏が、現役時代の記憶を振り返ります。今では想像もつかない昭和ならではの破天荒なエピソードを語り尽くします。

  ◇  ◇

 今から62年前の1964(昭和39)年春、僕は新人で一人だけ日南キャンプに参加しましてね。周りは一流選手やベテラン選手ばかり。そんな中で一番困ったのが夕食ですよ。鈴木旅館の大広間での食事はたいがい鍋料理でね。7~8個の鍋をそれぞれ4人ほどでつつく。

 最初は遠慮もあって遅れることもあった。そうするとほとんど残ってなくてね。すき焼きの日なんか悲惨でしたよ。かわいそうだからと言って、当時の白石(勝巳)監督が自分のを分けてくれたこともあった。

 慣れてくると「ハチ、こっち座れ」と言われるようになって、大羽進さんや大石清さん、漆畑勝久さんらと鍋を囲むようになった。多くは水炊きだったが、たまにすき焼きが出てくると漆畑さんが“鍋将軍”になって作る手順などを教えてくれた。まず砂糖としょうゆで味を調えて肉から焼いて食べるんだと。

 当時はプロ野球と言っても肉料理にあずかることは少なかったから、ごちそうだった。

 (その入団1年目のシーズン、試合中にネクストバッターズサークルで素振りをする漆畑のバットが、ボールボーイの頭部を直撃する事故が起きた。球審の判定を不服とする古葉竹識が放り投げたバットを、ボールボーイが拾おうとして交錯したという)

 名古屋での中日戦だったかな。僕はブルペンにいたけど大騒ぎになり、すぐに救急車で運ばれていった。あれからちょっと、うるし(ばた)さんは落ち込んでいたね。自分のバットが当たったんだから、やっぱり責任を感じたんでしょう。すごく真面目な人だったからね。

 うるしさんは明大からカープに入団したエリート選手。そのころ大卒の選手がどんどん入ってきて期待されていた。180センチほどある大型の内野手で、興津(立雄)さんと同じように“長嶋2世”なんて言われてましたよ。

 古葉さんがショートからセカンドへ回ったあとは、そのショートを守ることが多かった。阿南(準郎)さんや中日から移籍してきた今津(光男)さんらとしのぎを削っていたね。打撃よりも守備のよさが光っていた。

 前にも書いたことがあるが、僕の座右の銘「一球一心」はうるしさんからもらった言葉。サインも「あにや宗八」から「安仁屋宗八」と漢字に直したのもアドバイスを受けたから。ポジションは違うけど、何かと気に掛けてもらっていた。

 麻雀もよくやったね。僕は家を建てたときに「麻雀用に」と掘りごたつを作ったほどの愛好家。門限破りで自宅謹慎を根本(陸夫)さんから言い渡されたときは外出するわけにもいかず、ずっと自宅で麻雀をしていた。

 そこにシーズンが終了して来てくれたのがうるしさん。三日三晩やり続けたね。妊娠中の女房は夕飯を作っては広島市内の実家に帰り、朝食を作ってまた帰り、またまた夕飯を作りに戻って来るの繰り返し。

 三日目には、うるしさんが「おい、風呂に入りたい」と言いだしてね。僕は沸かし方を知らないから自分で沸かして入ってもらった。それほど僕の新居でくつろいでいた。女房には迷惑をかけましたけど。

 楽しかったね。あの頃が一番。もう一度、あの頃に戻りたいですよ。(デイリースポーツ評論家)

 ◇安仁屋宗八(あにや・そうはち)1944年8月17日生まれ。沖縄県出身。沖縄高(現沖縄尚学)のエースで62年夏に甲子園出場。琉球煙草を経て64年広島に入団。75年阪神に移籍し、同年に最優秀防御率とカムバック賞を受賞。80年に広島へ復帰し、81年引退。実働18年、通算655試合登板、119勝124敗22セーブ。引退後は広島の投手コーチ、2軍監督などを歴任。2013年12月から広島カープOB会長。22年から名誉会長。

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