大島康徳さんを悼む 「闘病中のブログは生きる希望を与えてくれました」北別府学氏

 大島康徳さん死去の悲しい知らせに、多くのプロ野球関係者から追悼の言葉が寄せられているが、デイリースポーツウェブ評論家で成人T細胞白血病の北別府学氏も「闘病中のブログ更新は同じ病をもつ多くの人に生きる希望を与えてくれました」と感謝の気持ちを表した。

 大島さんは4年ほど前に大腸がんになり、肝臓にも転移していたんですよね。そのことをご自身のブログに記しておられた。

 そのブログで腹水を抜いたとか入院したとか書いてあったし、6月の野球解説では声が聞き取りづらかったこともあり、少し心配していたんです。

 ブログは、私が病気をしたあと、大島さんが励ましてくださっていると聞いて拝読するようになりました。大島さんらしさが出ていて、本当にステージ4?って思うぐらい、明るく前向きな内容でしたね。

 私など、体調の悪い時はまったく更新できませんでしたが、大島さんは直近まで綴っておられましたからね。ものすごい精神力だったと思います。

 私は成人T細胞白血病であることを去年の1月に公表しました。病気を隠して“何があったんだろう”と変に憶測されるのも嫌だったし。そして私もブログの中で、病気の経過や移植の内容などを書いてきました。

 そうやって近況を書くことで、いろんな人と情報交換できるんです。

 現役中、私はファンの方とあまり触れ合うことがなかった。プロなのにファンサービスが足りなかったという反省が、このブログを始めたきっかけでもあるのです。

 当時、応援していただいたファンの方々と繋がれる場。書き始めて驚いたのですが、当時のファンの方だけでなく、若い方もたくさん訪れてくれる。

 仕事ができなくなった間も、病院や家で悶々とするより今の心境や、とりとめのない日常の出来事を書くことで、憂鬱な日々に堪えてこられたのだと思います。

 現役時代の大島さんとの対戦で印象に残っているのは、たまにカーブがすっぽ抜けると、ひっくり返るほど驚いて、「お前、いいかげんにせい!」って大きなゼスチャー入りで怒られたことですね。

 当時の中日は迫力ある打線だったけど、大島さんの怒り方も迫力がありましたよ。

 でも根はとにかく明るくてひょうきん。7年先輩だけど、現役引退が同じ94年で名球会の会員同士。野球教室で前泊して飲む機会があったときは、数名いる名球会員の中で、いつも話題を提供して場を賑わすのは大島さんでした。

 ハワイでの総会には奥さん同伴が多いのですが、大島さん夫妻は飛行機の中でもハワイに着いても常に一緒で仲が良い。手を繋いで歩いておられるのを見て私は目が点になりました。一心同体という感じでしたね。

 ちなみに私は広島で家内と2人きりで歩いたこともなかったですから。そんな大島夫妻を見た家内が、我が家は一心同体どころか“2心2体”とボヤいておりました。

 余命1年と言われてたと聞きます。それでも4年以上頑張った。それが長いのか短いのか。完治するのが一番だけど、やりたい事をやり、好きな仕事を4年できたのはすごいと私は思うのですが、感じ方は人それぞれでしょうね。

 でも、大島さんのブログで元気づけられた人は私以外にもいるはずだし、いろんな人にいろんなことを伝えたのではないかと思う。

 少なくとも私は生きる希望を与えてもらいました。

 今はただ感謝の気持ちを伝えるとともに、ご冥福を祈るばかりです。      合掌

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