シベリウスの教え
【9月29日】
鯉党で有名な岸田文雄前政調会長が自民党総裁選で圧勝した。予想外の展開となっただけに各局の評論家が今回の戦いを総評していたけれど、終わった話をアレコレ聞くほどつまらないものはない。
息詰まる虎の戦いを追いながらTwitterのこんな投稿に目が留まった。
「評論家がなんて言おうと気にしないことだ。これまで評論家の銅像が建てられたことがあったかね」-。 シベリウス
フィンランド出身の作曲家ジャン・シベリウスの名言を引用している人がいた。プロ野球を指した呟きではなかったけれど、これを虎党がリツイートしていた。知ったかぶりはいけないけれど、シベリウスが世界的音楽家であることくらいは中学の教科書で習った。
巨匠がなぜこんな言葉を遺したのか。推測だけど、そんな大作曲家でさえ、評論家の批評を気にして彷徨った時期があった…そういうことなのかもしれない。
「記者は取材者じゃないとあかん。評論家にはなるなよ」
この言葉、ずっと肝に銘じている。尊敬するデイリースポーツの先人から諭されたもので。
政治、芸術、映画、料理のそれらとは違い、プロ野球の評論家はプロ野球のOBだから銅像になることもある。ただ、ときにそれに似た物言いをするのがコラムの執筆者。だから大先輩は諭すのだ。 評論家の言うことなど気にするな-でいえば、思うことがある。
混沌としたペナントレースも大詰めを迎え、一つ負ければ神経に障る。評論家の指摘も厳しいものになるのだけど、その舌鋒を読めば、阪神、巨人へのそれは概してヤクルト、カープへのそれと比べ辛辣であることがよく分かる。
先日、巨人の丸佳浩が無死一、三塁の局面で内野ゴロ併殺打を放った。この間に1点を刻み、巨人は同点に追いついた。しかし「併殺で一点ではダメ」-そんな解説をする評論家が複数いた。巨人はこの試合を落としたのだけど、もし、あの1点が効いて勝利すればどう語られたのか。阪神もしかりだ。個人的にいつも「なるほど」と唸らされる評論家は多いけれど中には…いや、やめておく。
かつて岸田サンも喜んだカープの3連覇は、その合言葉が「無死満塁、ゲッツーOK」の精神だった。内野ゴロで1点は拍手で出迎える。劣勢でもその1点が効いてくるんだ、と。いや、効かない場合ももちろんある。「それでもOK」の精神が浸透し、選手が前向きになることに意味があるのだと当時カープの首脳から聞いた。
無死ではなかったけれど、この夜、阪神には二度、満塁機があった。が、得点できなかった。今月半ばまで阪神は満塁機で7者連続凡退などという記事も読んだ。
満塁機のチーム打率を調べるとこの日までカープがセ最高の・303。ヤクルトが・281。そして阪神は・244。ここからペナントレースの最終コーナーは、いかに満塁で心地良く打席へ送ってあげられるか…当欄も肩に力を入れず書いてゆく。=敬称略=