【野球】元阪神の守護神・田村勤さんの心に響いた藤川監督の言葉「ブルペンで毎日投げてたら見えてくるものがある」過酷なリリーフ稼業を知る2人が抱く思い

 90年代の阪神で守護神として活躍した田村勤さん(61)。ファンの記憶に残る左腕は、チームの後輩であり、監督就任初年度で優勝を成し遂げた阪神・藤川球児監督をどのように見ているのか。現在は故郷の静岡に拠点を移してJA大井川に勤務する田村さんが、タテジマを着て2年間をともに過ごした若き日の藤川監督との思い出などを語った。

  ◇  ◇

 監督に就任した15歳下の後輩とは、昨年11月に甲子園球場で再会を果たした。

 現役引退後に西宮市内で営んでいた整骨院をたたみ、JA大井川に勤務している田村さんは茶業部のアドバイザーという立場で古巣の甲子園を訪問。その際に、藤川監督が指揮を執り練習を行っていたグラウンドに足を運んだ。

 「行ったら目の前にいたから、『球児』って呼んだんですよ。そしたら、『タムさん、お久しぶりです』ってハグしてくれて。一緒に行った周りの連中がびっくりしてましたね。いきなり『球児』って呼んじゃってるよって。僕が藤川さんとか、球児さんとかいうのもおかしな話なんで」

 田村さんは藤川監督の歓迎ぶりを喜んだ。

 98年のドラフト1位で阪神に入団した藤川監督とは自身が阪神を退団するまでの最後の2年間である99、2000年をチームメートとして過ごしているが、「2軍で一緒になることの方が多かった」と話す。

 若き日の藤川監督の前向きな姿を田村さんは忘れることができないという。

 「僕は彼の潔いところしか見てない。何か指摘されたり怒られたりしても、すみませんでした、やり直しますと。素直に認めて前向きにやってた姿しか見てないんですよ。入ってきたばかりのころは体もできてなかったけど、素直だから、ここから伸びるだろうなって思ってましたね。最初は1軍に上がっても打たれることもあったし、なかなか抑えきれないのもあったんですけど、途中からですよね、ぐっと速くなった」

 花を開かせるまでに一定の年月を要したが、田村さんのそうした見立てを上回るような活躍をしていったのは周知の事実だ。セットアッパーとして記録を打ち立てタイトルを獲得し、「火の玉ストレート」を武器に阪神のみならず球界を代表する抑えとなった。

 2008年4月23日の中日戦では、田村さんが93年に達成していた10連続セーブの球団記録を、開幕からの11試合連続セーブでさっそうと更新。おかげで「田村勤」の名前にもスポットライトが注がれた。

 「ソフトボールをやってる時に、マスコミの人から電話がかかってきましたね。うれしい限りです、ってことしか言うことはないですよ。僕の記録があったのも知らなかったぐらいだし、飛ぶ鳥を落とす勢いの球児ならやるでしょって感じでしたね」

 現役時代の酷使によって左肩が上がらなくなった田村さんは、引退後にソフトボールのチームに所属しボールを追っていたが、その最中にマスコミを通じて記録更新を知らされたという。

 藤川監督には、お願いをしたこともあった。

 「子どもに野球を教えてたんで、たまたま球児と会った時に、なんで球が速くなったのか、教えてやってくれないかって言ったことがあるんですよ。そしたら、田村さんもブルペンで投げてたらなんか見えたでしょう、毎日あれだけ投げてたら、だんだん見えてくるものがありますよねって言われて」

 クローザーという過酷な稼業に身を投じてきた者同士、通じ合う感覚、見える世界-。藤川監督の言葉は田村さんの中にストンと落ちた。

 「球児とか僕はね、ブルペンでずっと投げてた。1日何十球、毎日のように投げるわけですよ。中学生とか高校生でそんなに投げることはないけど、投げないと分かってこないよって。投げていくうちにだんだんものになるから。投げ込みをするなという時代だから難しいとこなんですけど」

 故障防止の観点から、かつてのような投げ込みを推奨することはできないが、工夫できることはあるという。

 「投球数を減らして感覚をつかめっていってもなかなか厳しいと思うんですよ。だからシャドーピッチングを増やして繰り返すとかいろいろ試して。体で感じないとなかなか厳しい。そのことを子どもたちに聞かせてあげられたのはよかったかなと思いますね」

 田村さんは貴重な気づきをくれた藤川監督への感謝を口にした。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇田村勤(たむら・つとむ)1965年8月18日生まれ。静岡県出身。島田高から駒大、本田技研和光を経て90年のドラフト4位で阪神入団。プロ1年目から中継ぎとして50試合に登板、翌年は抑えとしてチームの優勝争いに貢献した。93年には自己最多の22セーブを挙げた。2000年に自由契約となりオリックス入りし、02年に引退。プロ通算287試合に登板、13勝12敗54セーブ。05年から兵庫・西宮で営んでいた「田村整骨院」を22年に閉院。現在は静岡のJA大井川に勤務。

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