【野球】阪神の伝説の左腕、田村勤さんから見た同郷のクローザー岩崎投手のすごみ「あれが打ちにくさの最大の原因」鉄人左腕に面影重ねる
90年代の阪神で守護神として活躍した田村勤さん(60=JA大井川勤務)にとって古巣は気になる存在だ。自身が在籍していた時代は、暗黒時代と呼ばれた低迷期だったが、チームは常勝軍団へと進化を遂げ、2リーグ制以降では史上最速となる優勝を果たした。かつての自分と同じクローザーの役割を担い、大車輪の活躍でチームを支えた同郷の左腕、岩崎優投手への思いを聞いた。
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同じ静岡出身で、同じ左腕である岩崎投手の奮闘を田村さんは頼もしく見つめている。
「たいしたもんですよね。もう何年もやってるでしょ。昔の山本和行さんみたいなイメージですよね」
猛虎の守護神として、試合の幕引き役を務める岩崎投手に、往年の鉄人左腕の姿を重ねた。
山本さんは、先発、中継ぎ、抑えとして70年代から80年代の阪神を支え、藤川球児投手(現監督)に抜かれるまで700試合登板(116勝106敗130セーブ)の球団記録を保持していたレジェンドだ。
岩崎投手は、その山本さんに続いて、生え抜きの阪神左腕では2人目となるプロ通算500試合登板を、2017年9月に達成している。
田村さんから見た岩崎投手の魅力とはどのようなところにあるのか。
「そこまで球は速くないけど、粘り強く投げる。あれだけボールを持てるピッチャーってなかなかいない。出どころがわかりづらい。あれが多分、打ちにくさの最大の原因だと思うんですよ。あれだけ持てると、バッターは球を球速より速く感じる」
よどみなく賛辞が口をついた。
自身がクローザーという過酷な役割を担ってきたからこそ、岩崎投手の心身の強靱さを理解することができる。
「いつも見ててね、変わらぬ感じで投げてるじゃないですか。ちょっと休んだぐらいでしょ。たいしたもんだなと思いますよ」
2013年のドラフトで6位指名された岩崎投手は、入団以来、貴重な1軍戦力として活躍してきた。17年に自己最多の66試合に登板すると、プロ12年目の今季まで9年連続で40試合以上に登板。プロ10年目の23年8月11日には、球団歴代7位だった田村さんの通算54セーブに並び、その後も数字を伸ばし続けている。
今季は8月上旬に腰の疲労のため2軍でリフレッシュ調整をしたが、復帰後は変わることなく重要な場面を担い、9月7日には自身2度目の胴上げ投手となった。
マウンド上で表情を出さずクールな岩崎投手の姿は、かつて鉄仮面とも呼ばれた田村さんとも重なる。
そう話を向けると田村さんは即座に否定した。
「いやいやいや、そうは言っても僕は短命に終わってるんで。短命ですよ。かなり凝縮されましたよね」
12年で終わりを迎えた自身のプロ野球人生。そのうち1軍で投げられないシーズンを3度過ごした。肩肘の故障と常に隣り合わせになりながら、現役であり続けた苦闘の歴史があるからこそ「変わらぬ感じで投げる」岩崎投手のすごみを実感しているのだろう。
短く散ることになった現役時代への後悔を尋ねると、田村さんは淡々と言葉を重ねた。
「後悔っていうよりは、本当にもっと体のこととか、もっとこだわってやっておけばとは思いますよ。整骨院を自分でやるようになってから勉強したんでね。体のケアの仕方とか、可動域を広げることとかね。(入団1年目に)来年から抑えで行くぞって言われて、準備して。ただ投げるのが嫌いじゃなかった、楽しかったんで投げてた。段々おかしくなってきたなって感じても、こんなもん、大丈夫だろうって思ってた」
暗黒時代に唯一、優勝争いを繰り広げた92年。クローザーに任命され前半戦だけで24試合に登板し5勝1敗14セーブをマークするも、肘の故障で戦線を離脱し後半戦の復帰がかなわなかった当時を顧みた。
2年ぶりの優勝を果たした今季。岩崎投手が今後も故障なく羽ばたいていってくれることを田村さんは切に願っている。
チームには同じ静岡出身の左腕、高橋遙人投手もいる。「阪神はなぜか、静岡出身をよく使ってくれるんですよね」
同郷の後輩たちの活躍を喜んだ。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇田村勤(たむら・つとむ)1965年8月18日生まれ。静岡県出身。島田高から駒大、本田技研和光を経て90年のドラフト4位で阪神入団。プロ1年目から中継ぎとして50試合に登板、翌年は抑えとしてチームの優勝争いに貢献した。93年には自己最多の22セーブを挙げた。2000年に自由契約となりオリックス入りし、02年に引退。プロ通算287試合に登板、13勝12敗54セーブ。05年から兵庫・西宮で営んでいた「田村整骨院」を22年に閉院。現在は静岡のJA大井川に勤務。





