【野球】「こんな舞台で野球をしてたのか」元阪神の守護神・田村勤さんがバックネット裏から見た甲子園 指導校が夏の大会出場
阪神ファンの記憶に刻まれている伝説の守護神、田村勤さん(60)は、現役引退後、高校野球の指導にも取り組んできた。兵庫・西宮で整骨院を営みながら指導を開始。静岡の藤枝明誠高はコーチ就任3年目で夏の甲子園出場を果たし、田村さんもかつての職場に“凱旋”した。故郷の静岡にUターンし、JA大井川に勤務しながら同校のコーチを継続している田村さんの指導者としての顔とは。
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今夏の静岡県大会で、藤枝明誠はベスト4入りした。同校の決勝進出を阻んだ聖隷クリストファーは静岡大会を勝ち上がり、甲子園に初出場して話題を呼んだ。
「相手ピッチャーがめちゃくちゃ良かったですね。でも、選手たちは1試合1試合、自信をつけてやってくれたかなとは思いますけどね」
田村さんは熱戦を繰り広げた部員たちをねぎらった。
高校球児への指導は兵庫・西宮で整骨院を営んでいる時から始めていた。整骨院が休みの日曜日は野球の日。静岡と石川・金沢にある金沢龍谷へと車を走らせた。
野球に携われることは「自分の中では気分転換というか、ワクワクする」時間だったという。
静岡にUターンして、JA大井川に勤務するようになり、今年からは藤枝明誠の指導に専念。月に4回ほどのペースで高校球児と交わっている。
藤枝明誠のコーチに就任して3年目の2017年、同校は初めての甲子園出場を決めた。
「見に行くのも、近いじゃないですか。選手たちが来たら、それこそマッサージをしに行ったりいろいろしましたよ」
試合はバックネット裏からチェックした。甲子園のマウンドを客席から見るのは新鮮な気分だった。
「あの場所に座って試合を見るなんてなかったんでね。遠い昔の話ですけどね、こんな舞台で野球をしてたのかって、ちょっと不思議な感じだった。やっぱり見る角度がね、現場からとスタンドからじゃ違うなと思いましたね」
大舞台での試合を控えた選手たちには、甲子園を本拠地として数々の修羅場をくぐり抜けてきた田村さんが肌で感じてきたことを伝えた。
「ここは投げやすいと思うよって言いましたね。誰が投げても投げやすい。調子が悪くても良くても、やっぱり投げやすいマウンドでしたから。(実際)すごく投げやすそうに投げてましたよ」
田村さんは、かつての職場を愛おしむように、同じフレーズを何度も繰り返した。
藤枝明誠は1回戦で津田学園(三重)に激闘の末、延長11回、6-7でサヨナラ負けした。
「ひとつ間違えたらね、勝ってたかもしれないゲーム運びだったんです。高校生の勢いってすごいなって思いましたね」
大舞台での選手たちのたくましい姿、成長ぶりを目の当たりにできたことは大きな喜びとなった。
年齢のギャップもある。指導方法もかつて自分が受けていた時代とは大きく変わっている。戸惑うことも少なくない。
「もちろん、暴力とかはよくないですけど、怒られたことのない子たちに、どうやって感じてもらうかって難しいですよね」
試行錯誤を重ねながらの指導は続く。
田村さんの現役時代に生まれていなかった選手たちは、当然のことながら、その雄姿を知らない。
「YouTubeとかの(現役時代の)映像があるから少しはね、この人、本当に野球選手だったんだなって分かるでしょうけど、その程度だと思いますよ」
生徒からもっとあれこれ聞いてきてほしいというジレンマを抱えつつ、刺激を与えていくことを心がけているという。
田村さんにとって高校球児を指導する面白さとはどういったものなのだろうか。
「プロ野球と違って、やっぱりチームのこととか、本当にみんなのことを考えて動いていたりする、ただの利己主義な選手ってそんなにいないので見ていて気持ちいい。やれる限りはやっていきたいなって思いますね」
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇田村勤(たむら・つとむ)1965年8月18日生まれ。静岡県出身。島田高から駒大、本田技研和光を経て90年のドラフト4位で阪神入団。プロ1年目から中継ぎとして50試合に登板、翌年は抑えとしてチームの優勝争いに貢献した。93年には自己最多の22セーブを挙げた。2000年に自由契約となりオリックス入りし、02年に引退。プロ通算287試合に登板、13勝12敗54セーブ。05年から兵庫・西宮で営んでいた「田村整骨院」を22年に閉院。現在は静岡のJA大井川に勤務。





