【野球】ヤクルト・高津監督の猛抗議 92年9月11日の阪神・中村勝広監督の姿がダブる

 本塁打の判定を覆した平光二塁塁審(左)に猛抗議する中村監督 1992年9月11日 甲子園
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 ヤクルト・高津臣吾監督(52)の猛抗議に、1992年9月11日の阪神・中村勝広監督(故人)の姿がだぶった。14日の中日-ヤクルト戦は、九回の最期の併殺プレーで判定に混乱をきたし、高津監督が約15分間にわたり審判団に説明を求めるシーンがあった。

 ヤクルトはこの試合の敗戦で、首位・阪神と3・5ゲーム差の3位に転落しただけに納得がいかないだろう。ペナントレースも終盤に突入し、優勝争いを演じているチームにとって1つの引き分け、1つの黒星が大きくのしかかってくるからだ。

 そう考えていると、思い出したのが92年9月11日の阪神-ヤクルト戦(甲子園)だった。この試合、私はヤクルト担当だった。だが、中村監督が就任1年目のシーズンは阪神担当として取材活動を行っており、その人となり、温厚な性格はある程度は把握していた。

 私がその後、ドラフト会議で松井秀喜を引き大喜びする巨人・長嶋茂雄監督の横で、外したにもかかわらずほほ笑んでいる中村監督の写真が、千葉・成東の実家にある-とのうわさを聞いた。確認にいくと「お前なぁ」と、照れたような表情を浮かべていたことは鮮明に覚えている。この話の真偽のほどは今でも謎だが…。

 そんな中村監督が激高し、審判団に詰め寄る姿を目の当たりにしたのだから驚いた。原因は3-3の同点で迎えた九回2死一塁の場面で、八木裕がレフトへと放った打球だった。二塁塁審の平光審判が手を回して本塁打を宣告。阪神がサヨナラ勝ちを収めた-とベンチもスタンドも沸きに沸いた。

 ところが、その後、ラバーの角に当たってフェンスを越えたことが判明。本塁打からエンタイトル二塁打に判定が覆り、2死二、三塁で試合が再開されることになった。エンタイトルツーベースなら、ルール上はこの再開は間違いはないが、中村監督の怒りは「一度、手を回したじゃないか」と収まらず、37分の猛抗議を繰り広げた。

 最終的に、連盟に紛争の裁定を求める提訴試合にすることで試合再開された。だが、その後は両チームともに決め手がなく延長15回引き分け。試合時間6時間26分の史上最長試合、試合終了は翌日の0時26分という死闘になってしまった。まさに2試合分の試合時間。終了の瞬間、力が抜けたように立ちすくんだと思う。

 このシーズンはヤクルトが、阪神に勝って優勝を決めた。だが、9月11日に阪神がサヨナラ勝ちしていれば、どんな結末を迎えていたのだろう。この試合には登板こそしていないが、優勝メンバーの高津監督だけに、持つ価値は痛いほど分かっているだろう。

 因縁の阪神-ヤクルト戦。14、15日の2連戦以降もどんなドラマが生まれるのか、楽しみである。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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