【スポーツ】内村航平、孤高の絶対王者の10年

 とてつもなく大きな、そして誰にも真似できない役割を終えた男の表情は、どこまでも晴れやかだった。4月末に行われた体操・全日本選手権。11連覇を狙った内村航平(29)=リンガーハット=は3位に終わり、長きに渡って君臨し続けてきた王座を明け渡した。

 昨年10月の世界選手権で個人総合の連勝記録は40で止まっていたが、あくまで左足首負傷による途中棄権。9年半ぶりに“人”に負けた。それでも悔しさはなかった。「いやもうすごい晴れやか。ようやく解放された。世界選手権は棄権だったので、結果として負けたという気持ちではなかったので。勝ち続けることは、自分との戦いだった。自分というのは1番超えるのが難しい存在だった。肩の荷が下りた」と、朗らかに笑った。

 ちょうど1年前の全日本。2位田中佑典(コナミスポーツ)とのわずか0・05点差の死闘を制した時、これまで“絶対王者”として内村が担ってきた重圧が垣間見えた。「負けた方が楽だったかな」。勝つこと、日本の、そして世界の頂点にいることが当たり前な日々を「地獄ですよね」と、表現した。孤独な日々だった。

 20代前半で選手としての最盛期を迎え、25歳を超えると多くの選手が引退していく体操の世界。自身が「体としてはピークだった」と話す12年ロンドン五輪からは、体の衰えとの戦いだった。首、肩、腰、足。必ずどこかに痛みを抱えていた。体力も落ちる。近年は床の演技後、膝に手をあて、肩で息をする姿が目に付いた。力技で耐えきれなくなるシーンも増えた。今回の大会でも「老いを感じた」と、正直に口にした。

 カバーしてきたのは、時に狂気すら感じさせるほどの集中力と精神力だった。世界選手権、五輪というヒリつくほどの緊張感が漂う大会以外は、モチベーションを保つことにも苦労した。無理やりにでも自らを奮い立たせるために、大技に取り組んだこともあった。リオデジャネイロ五輪で内村を金メダルに導いた跳馬の大技リ・シャオペン。個人総合の選手がまず使うことはない高難度の技だ。「毎回跳ぶ時は怖い。“この跳躍で自分は死ぬかも”と何回か思ったこともある。それぐらい思わないと“跳べる”っていう気持ちになれない。どうしても大きな舞台を経験してきて、(気持ちの面で)上がってくるものがなくなってきている。自分でプレッシャーを掛けて、(気持ちを)上げるものがないと」。“死”の危険を感じるほど技で刺激を入れ、“絶対王者”としてのメンタルを保ち続けてきた。

 その背中が白井健三や、今回内村と同じ19歳で新王者となった谷川翔の目標となり、今の体操ニッポンの強さを作り上げてきた。久々に敗者として試合を終えた内村は、これまでとの声援の変化を感じたという。「お疲れさまでした」の歓声に「あったけーな」。それは決して嫌な気分ではなく「今まではもっと熱がすごかった。熱いとあたたかいの違いですね。まあ29歳で3位なんで、いいんじゃないですか。翔と10歳差ですから」と、心地よさすらあった。

 今大会でも決勝だけの成績を見れば、トップだった。ただ、自分にもう飛び抜けた力がないことは分かっている。王座は譲っても、まだ譲れないものがある。2年後の東京五輪の代表。ここから先は迫りくる世代交代の波にあらがいながらの戦いになる。「代表で入り続けることが大事になってくる。醜い姿であっても、日本代表であり続けたい」。厳しい戦いになることは覚悟の上。ただ、なぜか内村の声は弾んでいた。「今まで味わったことのない感覚が味わえる気がするんです」。王者の孤独から解放された男は、1人のアスリートとして迎える新たな戦いに目を輝かせた。(デイリースポーツ・大上謙吾)

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