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【スポーツ紙・夕刊紙による9紙合同特別企画】道は、ひとつじゃない。ディープスカイ信念の変則2冠

 いよいよ今週末に、21年に誕生した7906頭のサラブレッドの頂点を決める戦い、日本ダービーが開催される。スポーツ紙・夕刊紙による9紙合同特別企画「道は、ひとつじゃない。」を実施。デイリースポーツでは、08年ダービー馬ディープスカイに迫った。デビューから初勝利まで6戦を要すなど栄冠への道は決して平たんではなかったが、3歳春に急成長を遂げて重賞3連勝で一気に世代の頂点に立った。関係者の証言とともにその足跡をプレーバックする。

四位騎手と出会い 毎日杯で重賞初V

 栄冠へと続く蹄跡はここから始まった。アーリントンCで追い込むも3着に敗れたディープスカイ。続く毎日杯で手綱を任されたのが四位騎手(現調教師)だった。初コンタクトの追い切りを「レースのイメージだと切れ味があるんだろうって思っていたけど、線が細くて頼りない感じだった」と振り返る。

 厩舎開業9年目を迎え、この年の2月にローレルゲレイロ(東京新聞杯)でJRA重賞初制覇を決めた昆師にとっては腕の見せどころ。「前も後ろもバラバラでパーツを戻したかった。姿勢やフォームに形ができて、良くなってきたのが毎日杯の頃。暖かくなって良くなると思っていたからね。本当に変わってきた」と師。初勝利に6戦も要した馬だ。栗東CWで基礎から作り直し、汗をかく時期までは慌てなかった。上昇カーブの始点だった。

 この時既に指揮官はダービーを意識していた。「余力を持ってダービーに行けるローテ。〝普通に勝てないようでは〟と思っていた」。勝ち方を求めた毎日杯だった。

 四位騎手とはレース初コンビだ。「大事な一戦。これからGⅠを目指すのでゲートは遅れないように」。出遅れ癖の解消をまず優先し、狙った通りに発馬を決めた。中団のやや後ろで脚をため、外へと持ち出した直線は一気の伸び。流しながら2馬身半差のVだ。「スタートして50メートルで物見してジャンプしているんです。精神的にまだまだって感じで。大丈夫かな?って思いながら半信半疑で乗っていた。それでも完勝でしたね。最後の脚に光るものがあった」。追い切りの感触をはるかに超え、次戦のNHKマイルCに自信を深めた重賞初制覇だった。

皐月賞をパスして NHKマイルCへ

 選択に迷いはなかった。皐月賞からの王道ではなく、NHKマイルCからダービーへ。この変則ローテには確かな理由と自信があった。昆師が「小回り中山は器用さを求められて脚質的に合わない。勝つ競馬をしたかった。気持ち良く走れるのはNHKマイルC。東京マイルの方が次につながる」と明かす。

 次も見据えた仕上げだった。「七、八分の仕上げであっさり勝つようなら(ダービーに)行こうか、と」。ダービーで究極に仕上げたい。それでも、気温の上昇と比例してディープスカイの状態は上向く一方だった。

 初コンビの毎日杯で手応えをつかんだ四位騎手は、自信を持って臨んだ。3コーナーはほぼ最後方の16番手。「強い馬に乗っている時って位置取りは関係ない。だから、全然気にならなかった」。直線は稍重で荒れた内側を各馬が避けるなか、ぽっかりとあいたインを選んだ。「その日の傾向からも内がマズいってわけではなかったし、力のある馬なので。直線も前があいたら勝つだろうと思っていた」。冷静かつ、巧みにリードして鮮やかに突き抜けた。完勝だ。

 次戦はダービーを狙っている。そのことは、四位騎手にもレース前から伝えられていた。2400メートルも見据えた乗り方だったのだろうか。「折り合いに心配がないので、マイルで攻める競馬をしてもダービーに影響するタイプではない。消耗するレースをしちゃうと影響するだろうと思ったから、楽に勝たせてもらいたいという感じだった」と四位騎手は振り返る。昆師にとってはこれがGⅠ初勝利。皐月賞をパスしてつかんだ3歳マイル王の座。〝変則2冠〟の達成へ、一歩近づいた。

完成迎えダービー 史上2頭目の偉業

 いつもは冷静な四位騎手も、この日ばかりは緊張感に包まれていた。ダービーの1番人気に支持されたディープスカイ。「絶対に勝てる馬だよ、と。根拠のある自信。だから自分のミスで負けるわけにいかない、って余計に緊張した」。牝馬ウオッカでのダービー初制覇から1年。ダービージョッキーとして挑むことが、緊張を少し和らげた。「それまではダービーって未知の世界だったから。前年に勝たせてもらったのはすごく大きかった」と振り返る。

 NHKマイルCからダービーまで中2週。その短期間でさらに調子を上げた。「栗東坂路で一杯に追って4F54秒しか動かなかった馬が、1週前に馬なりで51秒2。完成したなと思った」と昆師。ローレルゲレイロで皐月賞→NHKマイルC→ダービーと挑戦した前年の経験が、この時のローテにも生きた。「生涯のなかで一番丈夫だったのがゲレイロ。あれがマックスだから、どの程度の引き算をすれば負担をかけないという物差しになった。ローレルゲレイロさまさま」と感謝する。

 昆師のオーダーで、四位騎手は毎日のようにパートナーにまたがった。「彼の性格をつかめて、すごくいいコミュニケーションが取れた。馬ってグンって良くはならない。でも、グングン良くなるのが分かる。手綱や背中から伝わるもの。上昇度が半端なくてワクワクした。後にも先にもあんなに急上昇する馬とは出合ったことがない」。相棒を頼もしく思いながら決戦を迎えた。

 レースは【1】枠①番から後方に構えた。「他の馬がどうというレベルじゃない。ディープスカイの競馬をしてあげるだけ。馬と僕との会話。リラックスして走ってくれて文句なし。4コーナーまでで自分のガイドは終わったって感じですよ。〝あとは、はじけるだけ〟って」。末脚を信じる。そして、栄冠を手にした。

 初勝利までに6戦を要し、11戦目で04年キングカメハメハに続く〝変則2冠〟を達成した、たたき上げのダービー馬。昆師にとって、どんな馬だったのか。「自分で育てきった。つくり上げたなって感じ」と指揮官。武豊騎手に続く史上2人目のダービー連覇を果たし、騎手から調教師に転身した四位師も「大きな財産。馬を育てていくっていう、今の自分の引き出しになっている。感謝するとともに、先生ですね」と感慨を抱く。世代のマイル王者から、世代の最強馬へ-。8150頭の頂点に2度立った。

穏やかに楽しむ余生

 北海道日高町「ひだか・ホース・フレンズ」で繫養

 21年に種牡馬の役目を終えたディープスカイは、引退馬に関わるさまざまな活動を行っている「認定NPO法人引退馬協会」の所属となった。現在は馬産業の啓発普及、軽種馬人材養成事業などに取り組んでいる北海道日高町にある「ひだか・ホース・フレンズ」にて繫養(けいよう)され、穏やかな日々を送っている。

 今年で19歳となるが、健康状態は良好。一日のスケジュールは午前5時ごろに放牧へ出て、トータルで約8時間、放牧地で過ごしている。「ひだか・ホース・フレンズ」の村上善己場長は「普段は放牧地で泥だらけになって遊んでいます。この牧場は鹿の通り道になっているのですが、鹿と一緒に青草を食べているシーンをよく見ますね。この前はカラスが巣づくりをするためにディープスカイの尾っぽを抜いてました。普通の馬なら嫌がるところ、黙って寝ていましたよ」と、ほほえましい光景を笑顔で伝える。

 今の環境が合っているのだろう。競走馬、そして種牡馬としての生活を終えたかつてのダービー馬は、余生を楽しんでいるようだ。いつまでも元気な姿を見せ続けてほしい。

 ※ディープスカイの見学には予約が必要です。ご注意ください。

北海道浦河町 生産した笠松牧場 

 よく食べ、よく寝たアビの4番子

 北海道室蘭市から太平洋沿いを走る国道235号線の終着点にある浦河町。穏やかな時が流れる海寄りの笠松牧場で05年4月24日、第75代日本ダービー馬ディープスカイは産声を上げた。

 父アグネスタキオン、母アビ。両親譲りの栗毛に出た4番子は、派手な流星が特徴的。同牧場の水上千歳さんが幼少期を教えてくれた。

 「当時をよく知るスタッフからは〝よく食べて、よく寝ていた〟と聞いています。群れたがらないのか、単独でもへっちゃら。親と離れるのも早かったそうです。アビの子は、そういう傾向があるようですね」

 代表である父・行雄氏もお気に入りの一頭だったという。その父が笠松牧場の経営に携わるようになって20年目。自主性の強かったあの栗毛の子が歴史を変えた。「牧場にとって、初めての重賞制覇が毎日杯でした。そこからはあれよあれよといった感じで…」。続くNHKマイルCでGⅠ初制覇。〝変則2冠〟を目指したダービーは東京競馬場まで駆け付け、スタンドで観戦した。「もう大興奮でした。あの大歓声は忘れられません。今となっては、とてつもないことをしてくれました」と懐かしそうに振り返った。

 09年宝塚記念(3着)を最後に引退し、種牡馬入り。代表産駒クリンチャーの活躍は記憶に新しい。「重賞レースをたくさん勝ってくれましたし、凱旋門賞にも挑戦してくれましたからね」。現3歳世代では孫のスウィープフィートがチューリップ賞を勝ち、桜花賞でも4着に好走した。「母の父として名前が残ることはすごくうれしいです」と活躍を喜ぶ。

再び、あの舞台へ 夢は果てなく

 ダービーの歓喜から、はや16年。牧場の功労馬である母アビは、皆と一緒に放牧し、夏頃からは離乳した当歳のリードホースを務めている。「5月5日に29歳の誕生日を迎えました。当然、高齢馬らしい衰えはあります。しかし、往時ほどではありませんが、彼女のストライドの大きな力強い歩きは健在と言えます」。笠松牧場はその後もガロアクリーク(20年スプリングS)、テオレーマ(21年JBCレディスクラシック)といった活躍馬を輩出し、歴史を積み重ねた。再び、あの舞台へ-。ダービーへの夢は果てなく続く。

■ 昆 貢(こん・みつぐ)

〈WHO’S WHO〉

 1958年6月14日、北海道出身。65歳。78年に騎手デビューし、89年に引退するまでJRA通算92勝。騎手引退後は栗東・福島信晴厩舎で調教助手として経験を積み、99年に調教師免許取得。2000年3月に開業した。JRA通算479勝(5月13日現在)。重賞はディープスカイでの08年NHKマイルC、日本ダービーなど19勝(うちGⅠ6勝)。

■ 四位洋文(しい・ひろふみ)

〈WHO’S WHO〉

 1972年11月30日、鹿児島県出身。51歳。88年にJRA競馬学校に入学し、91年3月2日に騎手デビュー。同年5月19日に初勝利。JRA通算1586勝。重賞は同通算76勝で、そのうちGⅠは2007年にウオッカで史上3頭目となる牝馬でのダービー制覇や、08年にディープスカイでNHKマイルCとダービーの変則2冠制覇など15勝をマーク。20年に調教師免許を取得し、翌年から転向。JRA通算58勝(5月13日現在)。重賞勝利は23年シリウスS(ハギノアレグリアス)、ファンタジーS(カルチャーデイ)の2勝。

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