【競輪】公営競技マニアの増田鉄男とボート談義に花を咲かす 古い資料で大盛り上がり
「レース記者コラム 仕事・賭け事・独り言」
昨年5月27日に配信されたこのコラムで記者は競輪の増田鉄男(51)=徳島・74期・A2=を紹介した。1998年、記者は29歳、増田は24歳で、島田珠代などよしもと新喜劇の話題を門司競輪で盛り上がったこと、増田が無類の公営競技マニアで、職業として臨む競輪はもちろん、ボートレースやオートレースも精通している。練習後に鳴門ボートで舟券を購入することが多く「落車の傷は外傷消毒液よりを塗るより、鳴門ボートのしぶきを浴びた方がよう治る」と笑い飛ばしたことなどを記した。
そして増田はボートレースに関する古い資料をたくさん所持していることも記した。「今度、徳島県に仕事で来た時にはお見せしますからね」。ちょっと前だが、今年2月に鳴門ボートへ仕事で出向いた際、増田と待ち合わせして公営競技談義に花を咲かせた。
雨が降りしきる中、JR鳴門駅前に大きなカバンを持った増田が現れた。飲食店に入って中身を見ると、大量の古いボートレースの資料。関係者しか手に入らないようなものまで持っていた。資料に掲載されている登録番号2000以前のボートレーサーの姓名を眺めていると、増田も記者もすぐに特徴を語りたがる。70歳前後のボートファンなら分かるが、こんな古い資料だけで大盛り上がりできる50代はあまりいないだろう。
資料だけでなく、増田は文献も持っている。30年ほど前のボートレース界の出来事で、またも盛り上がって語り合った。記者は飲酒したが、増田は下戸。少し悪い気がしたが「ワイは(酒が)飲めるような顔やけど、飲めんけんね」とのこと。この言葉のおかげで、いい酒が飲めた。
その2カ月後、岸和田F2(16~18日)で増田に再会した。「また鳴門でやりましょう」とニンマリ。次の機会はボートレースだけでなく、1980年代以前の古い吉本新喜劇について語ってみたい。(関西競輪、ボート担当・森田新吾)





