ローラーS高萩嬉ら父と娘の夢五輪
2013年5月29日
昌利さんがローラースケートと出合ったのは、小学2年生の時。「父が私を競輪選手にしたがっていて、後楽園に連れて行ってもらった時にちょうどローラーをやっていたんです。それで父が『これで鍛えなさい』と」。あくまで競輪選手になるための練習の一環だったはずが、始めると、その疾走感にのめり込んでいった。
才能も開花し、高校1年時には、全日本選手権を制し、一躍トップ選手に。その後も大学や信用金庫に勤めながら競技を続け、全日本V11、アジア選手権も4度制し、94年フランス世界選手権では4位に入るなど輝かしい実績を残した。
ただ、昌利さんには競技者として叶(かな)わなかった夢が1つだけある。ローラースポーツは、88年ソウル五輪で採用候補競技に挙がったが、無念の不採用。「ずっとマイナーな競技なので、メジャーにしたい気持ちは強かった。他のスポーツと肩を並べたかったし、もし(五輪に)出られたなら、僕も出たかった」。だから、引退をする時に誓った。いつか五輪競技になる日がきっと来る。自分に子どもができたら、この夢を託そうと‐。









