長嶋茂雄さん告別式 一茂氏は沈痛の面持ちで聞き入る 三奈さんが喪主挨拶で明かした最期「俺は生きるんだ、と」
肺炎のため3日に89歳で亡くなった元巨人・長嶋茂雄さんの通夜・告別式が、7日と8日にそれぞれ東京都の桐ケ谷斎場で営まれた。
近親者のみで執り行われ、通夜には巨人関係者を含めた計126名が参列。親族は喪主の次女・三奈さんや長男の一茂氏ら27名が出席した。自宅から出発の際には一茂氏らが父・茂雄さんの遺体を納めた棺を支え、三奈さんと並んで自宅前で一礼した。
8日の告別式では三奈さんが喪主挨拶で、長嶋さんの最期の様子に言及。隣で遺影を持つ一茂氏が、沈痛の面持ちを浮かべる様子もあった。
▽三奈さんの告別式・喪主挨拶は以下。
本日はお忙しいところ、また、遠路にもかかわらず、父、長嶋茂雄の葬儀に足をお運びくださいまして、誠に有り難うございました。
2004年、脳梗塞で倒れてからは、自分との闘いを21年間続けてきました。私が見ていても胸が締め付けられるぐらい苦しい治療をたくさんしてきました。食事も食べられず、会話もできない日も何日もありました。でも、父は、野球を全うしたそのままの力で、病と真正面から向き合って、決してあきらめることはしませんでした。
6月3日、朝6時過ぎに、病室におりまして、脈拍と血圧の数値が0になったんですが、よく見ると、波形が、ピッピッと山なりの波形が、ずっと続いているんです。看護師さんに「これ、どういうことなんですか」と聞きましたら、「監督が心臓を動かそう、動かそう、動かそうとしている振動なんだと思います。私、こんなの見たことありません」。看護師さん、主治医の先生方、最後まで驚いていました。最後まで長嶋茂雄を貫いた人生を送ったと思います。
意識がなくなっても諦めず、そして、最後まで、俺は生きるんだ、諦めてないぞ、諦めてないよと。父の心臓の鼓動がそう発していると、私は思いました。父らしい、最期まで諦めない姿を見せてくれました。父は、きっとこの後、天国でも日課としている散歩とトレーニングを続けると思いますので、晴れた日には、皆様どうぞ時々空を見上げて、父のことを思い出していただければと思います。
そして、父はとても耳が良いので、松井さんも、もしよろしければニューヨークから素振りをしていただければ、父もしっかりと聞いていると思います。どうぞ、これからも父と松井さん、二人だけの会話を、素振りを続けていただければと思います。
また、この度、葬儀委員長を務めていただきました、読売新聞グループ本社代表取締役社長山口寿一さまには、父が亡くなる前日2日に病室に来ていただき、また翌日3日の早朝にも駆けつけてくださり、私達、家族だけではなく、スタッフにも「体は大丈夫ですか」と温かいお声をたくさんかけていただき、本当にお支えいただきました。「感謝」という2文字だけでは到底足りないんですが、山口社長、そして読売新聞グループ本社、社員の皆様、読売巨人軍、社員の皆様、家族・親族一同を代表しまして、心より、心より、感謝申し上げます。
出棺に先立ちまして、お礼を申し上げ、ご挨拶と代えさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。