長島三奈さんが語った父の姿「恥ずかしながらも娘としては誇りに」上原浩治氏の秘話紹介「僕のことずっと二岡って」も「笑顔の花がぱっと咲いて」

 肺炎のため3日に89歳で亡くなった元巨人・長嶋茂雄さんの通夜・告別式が、7日と8日にそれぞれ東京都の桐ケ谷斎場で営まれた。近親者のみで執り行われ、通夜には巨人関係者を含めた計126名が参列。親族は喪主の次女・三奈さんや長男の一茂氏ら27名が出席した。

 通夜であいさつを行った三奈さんは「父は本当に耳もいいですし、記憶力もいいんですが、なぜか選手の皆様のお名前はよく間違えておりました。上原浩治さんに、上原さんいらっしゃると思うんですが、上原浩治さんにお会いしたときには、『監督、僕のことをずっと二岡って呼ぶんですよ』って。すみませんって言いながら、また、ある時は桑田真澄さんにお会いしたときは、『監督、僕のことを最後までクワダって言っていました』」というエピソードを披露。「娘としてはちょっと恥ずかしかったんですが、もう父の話が出ると、もう周りの方が皆さん、一瞬にして笑顔の花がぱっと咲いて、父ってどこにいてもいろんな方を笑顔にするんだな、もう野球と関係ないのに笑顔で包んでくれるんだなと、ちょっと恥ずかしながらも娘としては誇りに思っておりました」と語った。

 「家族と過ごす時は、父は本当に太陽のように大きくて、明るくて暖かい日差しを私達家族に毎日降り注いでくれました。よく会社、仕事場に行きますと、『監督って試合に負けると、機嫌が悪いの?』といろんな方に聞かれました」と明かした三奈さん。「父はどんな試合になっても機嫌が悪かったり、何か物に当たったり、怒ったり、そんなような姿は、私は一度も見たことはありません。ただ、私がこんなことを言いますと、選手の皆様の中には、『いやいや、試合中、僕ベンチでずっと監督から蹴られたぞ』と、そんなことを思ってらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、父はグラウンドでは真剣なあまり、雷や嵐が吹き荒れたかもしれませんが、そのおかげで、長嶋家は毎日青空で、父が太陽のように笑顔たくさん振りまいてくれました」と振り返った。

 また師弟関係が強い松井秀喜氏には「ご存知の通り、父は松井さんが世界で一番好きな方です。もし、松井さんと私が同時で海に溺れたら、父は私じゃなくて真っ先に松井さんを助けに行くだろうなと、本気で私は考えたこともあります」とユーモアを交えながら語り「松井さんがヤンキースに入団された1年目の2003年、もう、父は居ても立ってもいられず、ニューヨークに駆けつけました。そして、ニューヨークのプラザホテルという、とても格式高いホテルのスイートルームから『松井、バットを持って今すぐ来い』と、すぐに電話をしたそうです。松井さんはびっくりされて、『今からですか?』と、バットのケースにしまわずに、もうそのまま裸のまま、小脇に抱えて隠すように、プラザホテルのロビーを歩いて行ったんですよ。私、その話は何度聞いても顔がほころんでしまいます。その後は、父と松井さん二人だけで、無言で松井さんの素振りの音だけが部屋に響いていたと後で聞きました」という秘話も明かされた。

 「松井さんが38歳で現役を引退された時に、その新聞記事を、父が私に見せながら、『パパもね、引退したの38歳なんだよ、松井と一緒なんだよ』と、ちょっと寂しそうな、でも、誇らしげな顔をしていたのを、私は今でも覚えています」と三奈さん。闘病を支えた愛娘の言葉で、ミスターの素顔が語られた。

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