長嶋茂雄氏-松井秀喜氏「千日修行」運命の糸つながった92年ドラフト 不滅の師弟愛「現代で最高のホームランバッターだった」
国民的スーパースターで「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた巨人・長嶋茂雄(ながしま・しげお)終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。
プロ野球を国民的スポーツに押し上げた自身の後継者として、長嶋さんが巨人時代から手塩にかけて育ててきたのが松井秀喜氏だ。2人の関係はまさに「師弟」と呼ぶにふさわしい。
運命の糸がつながったのは、1992年11月のドラフト会議。巨人監督に復帰したばかりの長嶋さんが4球団競合となった星稜高の超高校級スラッガー、松井氏の当たりくじを引き当てた。右手でガッツポーズをつくり、約4時間後には本人に直接電話を入れた。声を聞いた途端、阪神入団を熱望していた18歳の表情が崩れた。「うれしい。雲の上の人だと思っていたから」。あっという間にハートをつかんだ。
「千日修行」と称して1年目から鍛えた。球場、自宅、遠征先のホテルの部屋でも素振りをさせた。日本を代表する強打者になっても同じで、2003年のヤンキース移籍後もニューヨーク滞在中のホテルの一室に呼びつけて素振りをさせ、バットが空を切る音を聞いてアドバイスを送った。
松井氏は2012年の現役引退会見で「現役時代の一番の思い出は、長嶋監督との素振り時間」と即答した。04年に長嶋さんが脳梗塞で倒れた後も、何度も電話で励まされた。「いつまでも子ども扱いで、褒められたことがない」と苦笑する松井氏の引退の報に触れた時、長嶋さんはやっと「現代で最高のホームランバッターだった」と賛辞を贈った。
13年には国民栄誉賞を2人で同時受賞。同年5月5日の東京ドームでの授与式では、脳梗塞の影響でまひが残る長嶋さんを気遣う松井氏と、誇らしげに笑みを浮かべる師匠の姿に、改めて師弟愛の深さがにじみ出た。
長嶋さんが現役を引退した1974年に松井氏は生まれた。2人は運命に導かれるように出会い、選手として昭和、平成の人々にそれぞれ「夢と希望」をもたらした。引退した年齢までともに同じ38歳だった。単なる偶然では片付けられぬ不思議な縁を感じざるを得ない。





