【あの時…虎戦士回顧録】藪恵壹氏 95年防御率2点台で13敗「あり得ないでしょ」

 懐かしの猛虎戦士が現役当時を振り返る企画「あの時は…」。第4回は90年代後半から00年代に投手として活躍した藪恵壹氏(50)が登場。在籍した11年でBクラスが10年、うち最下位が6年という“暗黒時代”にエースを務めた男が、好投してもなかなか勝てなかった当時のこと、同じ状況に陥っている阪神に新加入した西勇輝投手について語った。

  ◇  ◇

 「暗黒時代のエース」「悲運のエース」なんて呼ばれた僕ですが、それを象徴する成績だったのが95年です。防御率は2・98ながら、成績は7勝13敗の負け越し。あり得ないでしょ(笑)。13敗はそのシーズンのリーグ最多だったんですが、そのうちランサポート(※注)で完封負けの0点が6試合、3点以内が6試合でした。だから極論で言えば、12敗は僕の責任じゃないんです(笑)。

 今でこそクオリティースタート(先発で6回以上投げて、自責点3以下)という考えがありますけど、僕らの時代にはなかったですからね。それがあれば目標設定もできた。だからゲームプランもないわけですよ。最初から飛ばしていって、投げている間に点を取ってくれたらラッキーみたいな。野村さんが監督だった時代(99~01年、3年連続最下位)なんか「全部完封せえ」って言われていたんですから。

 真弓さんには「『もっと打ってください』って(打撃陣に)言ってええぞ」って言われましたよ。でも最初の数年は言えないですよね。でも30歳を超えてきたら言っていましたよ、「点取ってくれよ」って。「1点あったらええやろ」「いや、まだ足らん」って(笑)。

 8勝3敗の2003年は8月に肘を痛めるまでは先発でやっていて、その後に1軍に上がってきてから優勝間際はリリーフをやっていました。8勝は全部先発での勝利。優勝するぐらいだから打線の援護があった。この年に優勝を経験できたのは救いですね。

 西が今僕と同じ状態(防御率2・87ながら3勝7敗)でしょ。僕は西が「2×4(ニシ)=8年で100勝できる」って言ったんですよ、阪神に来ることが決まった時に。それぐらいできるピッチャーですから。今は我慢の時期でしょう。

 あとはマウンドでの姿ですよね。どちらかというと表情に出るタイプ。そういう意味ではバッターはくみしやすしだと思う。相手から「あれ?何考えているか分からないな」って思わせるぐらいになってきたら。いいときも悪いときも“鉄仮面”になれればね。

 同じ三重県出身っていうのもありますしね。応援していますよ、彼のことは。(元阪神タイガース投手)

 ※注…得点援護率。投手がどれだけ打線の援護を受けたかを示す指標で、登板中に味方打線が挙げた得点を、1試合相当(9イニング当たり)で表したもの。

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