【5大ザックの素顔3】苦労人である

 ザック監督のサッカー人生は、いったん16歳で終わった。自伝「ボールはいつも丸いわけじゃない」(邦題「ザッケローニの哲学」、訳・久保耕司、PHP研究所刊)によると、70年3月31日に、「生まれて初めて友人とバイクにいっしょに乗った」ことがきっかけで、重い肺の病気にかかったのだという。

 入院2カ月。さらに2年間、激しい運動ができなくなった。家業のホテルを手伝い、保険代理業者としても働いた。しかし、ここから監督・ザッケローニが生まれたのだから人生は分からない。

 アマチュアレベルでプレーしていると、知人から8歳~10歳の子どもたちのチームを指導してくれと要請されたという。理由は「元の監督が、13歳以下のチームの監督とけんかして出て行ったから」だという。代理監督のつもりが何日待っても元の監督は帰らず、ザッケローニ青年は監督の道を歩み始めたのだという。

 「ウチが7人で相手が11人。0‐14といったスコアの試合が続きました。でも子どもたちも友達を誘ってくれて、11人対11人でできるようになったんです」(ザック監督談)

 その後、このチームは解散してしまうが、地元のチェゼナティコからオファーを受け17歳以下のカテゴリーでの監督に就任。83年からは同クラブのトップチーム監督に昇格し、これがトップレベルでの初監督となった。

 ニュージーランド戦の代表を発表した2月27日には長谷部、内田が負傷で欠場することについて聞かれた際、「あることから、別のことは生まれる」というイタリアの格言を用いて悲観論を一蹴した。監督自身が、その言葉を体現しているから重みがある。

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