【野球】星稜の後輩、松井秀喜氏に託した5人の名前入りサインボール 世紀のONシリーズの舞台裏を元ホークス湯上谷さんが明かす

 福岡市内のもみほぐし店「りらくる」でセラピストを務めている湯上谷竑志さん(59)はホークス一筋にプレーし、2000年をもって現役を引退した。石川・星稜高から南海(ダイエー、現ソフトバンク)にドラフト2位で入団してから16年目にたどり着いた日本シリーズが、現役最後の試合となった。自身にとっての「夢舞台」だったと語るON決戦。その舞台裏で、巨人の4番であり、高校の後輩である松井秀喜氏(51)に依頼したものがあった。

  ◇  ◇

 湯上谷さんのダイエー時代のチームメートであり、星稜の後輩でもある村松有人選手の引退に際して、当時エンゼルスに所属していた松井氏はこんなコメントを残している。

 「(村松選手は)勤勉で黙々とプレーされる優しい先輩でした。2000年の日本シリーズはONで沸いてましたが、湯上谷さんと合わせて星稜OBがこっそり3人いた。印象深い思い出です」(2010年9月29日付デイリースポーツ)

 2000年当時、34歳だった湯上谷さんを筆頭に、27歳の村松選手、26歳の松井選手と両チームに3人の星稜OBが在籍し、プロ野球最高峰の戦いの場に身を置いたことは興味深い。

 松井氏のコメントについて尋ねると、後輩が言外に込めた思いを苦笑交じりに推し量った。

 「あのシリーズの時、松井にね、長嶋(茂雄監督)さんにサインボールをもらってきてってお願いしたんです。長嶋さんと、おまえのサインを書いてって。そこに王(貞治監督)さんと、村松と僕のサインを入れて山下監督に渡したんです。山下監督が長嶋さんの大ファンで、シリーズに招待したんですけど、なんかせなアカンなと思って相談したんですよ。それがあったから松井もたぶん、そういうコメントをしたんだと思います」

 自身の原点である星稜野球部。恩師である山下智茂元監督へプレゼントするため、巨人の4番に重大なミッションを課していたのだ。

 松井氏は、先輩からの頼みを引き受けて律義にサインボールを準備してくれたという。

 「ありがたいですよね。山下監督に1つ、学校に1つ、あとは各自1つずつの5つですね。長嶋さんがきちっと書いてくださって。山下監督はもう喜んで、宝物にするって言ってくれましたね。国民栄誉賞3人(長嶋氏、王氏、松井氏)ですからね、村松と僕の名前はない方がええんちゃうかって」

 冗談めかして振り返ったが、ONに加えて、星稜からプロ野球の世界で名を成した3人の名前が入ったサインボールは、夢舞台に集ったまぎれもない証となる、お宝ボールとなった。

 栄光のV9の立役者であり、プロ野球ファンの絶対的なヒーローだった長嶋氏と王氏が監督として対決した日本シリーズは、ファンにとってはもちろんのこと、プレーする選手にとっても特別な試合だった。

 「夢舞台でした。長嶋さんと王さんの目の前で野球ができた。小っちゃい頃から見ていた長嶋さんが守ってたサードを(自分が)守ってるんだからなおさらだった。バッターの向こうに長嶋さん、こっち(三塁側ベンチ)を見たら王さんがおるわけでしょ」

 故障により第6戦を欠場した小久保裕紀選手に替わって、湯上谷さんは8番サードでスタメン出場。サードの守備位置から見た、ONがいる景色の感動を熱弁した。

 その舞台で三回の守備中に打球処理を誤り、悪送球を犯した(記録は内野安打)後悔を湯上谷さんは持ち続けているが、夢舞台に立った事実が色あせることはない。

 「僕にとってものすごく大きい、夢が達成できた」側面もあった。

 シリーズは巨人が制し、松井選手がMVPに選出された。打率・381、3本塁打、8打点の活躍だった。

 「阪神に入ってたらどうなってたかな、ウチに入ってたらどうなってたかなって思いますよね」

 1992年のドラフト会議。ダイエー、中日、巨人、阪神の4球団が超高校級スラッガーの松井氏を1位指名し、最後のクジを引いた長嶋監督が交渉権を獲得し「巨人・松井」は誕生した。

 「“ホークスでも入った”って言ってましたから。ホークスの場合は“いい先輩がいるから”って言ってくれてた。村松もいましたからね」

 後輩がかつて発したうれしい言葉をかみしめつつ、その後の長嶋氏と松井氏の生涯にわたる師弟関係に思いを寄せた。

 「(巨人で)よかったですよ。長嶋さんもよかったと思うし、松井もよかったと思う」

 しみじみとした口調だった。

 あのシリーズから25年。南海からダイエーへの球団譲渡によって移り住んだ福岡の地で、湯上谷さんはプロ野球時代と同じ個人事業主として、自分の腕をいかして働いている。(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇湯上谷竑志(ゆがみだに・ひろし)1966年5月3日生まれ。富山県出身。石川・星稜高から84年のドラフト2位で南海入り。1年目から遊撃手として1軍出場を果たす。ダイエー時代の90年からは二塁のレギュラーとして活躍し3年連続全試合に出場。内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして活躍し、2000年に引退。プロ在籍16年で通算1242試合、打率・258、141盗塁。ソフトバンクの育成、1、2軍の内野守備走塁コーチを務めた。現在はもみほぐし店「りらくる」福岡小笹店のセラピスト。

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