【野球】89年1月、旅立つホークス一行を大阪空港で見送った湯上谷さん 半年遅れの福岡合流 メジャー内野手から教わった守備の極意

湯上谷竑志さん
2枚

 福岡市内のもみほぐし店「りらくる」でセラピストとして働いている湯上谷竑志さん(59)は、いぶし銀の内野手としてホークス一筋でプレーした。高校卒業後に入団した南海は1988年にダイエーに譲渡され本拠地は大阪から福岡・平和台に移転。だが、88年の秋季練習で大ケガを負った湯上谷さんはチームとともに行動することができなかった。半年遅れでの福岡入り、そこからの逆襲とは。

  ◇  ◇

 1989年1月19日。九州の空と海をイメージしたというエメラルドグリーンのジャケット姿の一行が、チャーター機で福岡空港に降り立った。

 球団譲渡によって南海ホークスからダイエーホークスとなったチームが迎えた門出の日。だが、湯上谷さんは旅立つチームメートを大阪空港で見送るしかなかった。

 「チャーター便でみんなが出発するとき、ずっと空港にいたんです。そろいのジャケットを着て、ワーッと行ってね。もう仕方がないんで、皆さんどうぞ、いってらっしゃいみたいな気持ちで見送って、そのまま病院に戻ったんです」

 88年11月の秋季キャンプで右スネを骨折し、修復手術を受けた。12月半ばの契約更改は右足にギプスをした姿で臨み、その後も入院生活は続いていた。

 9月下旬に発表された球団の身売りには衝撃を受けた。

 「一番安定しているものだと思っていたから。安定してるからこそ、球団を持ててるんだろうと思ってたら違っていた。その後阪急の身売りもあったし、こんな時代にわれわれはいるんだって」

 当時、湯上谷さんは大阪でマンションを購入したばかり。途方に暮れたこともあったという。

 福岡にはチームより半年遅れで入ったため、ダイエー初年度の89年シーズンは1軍出場なしに終わった。だが、復帰に向けて周到に準備を進めた。

 「その年の秋から、2軍の試合に出たり、1軍レベルでできるようにオフの間もトレーニングをずっとやったり。早くスタートできるようにキャンプでもどんどんやっていきましたね」

 杉浦忠監督の後任として90年シーズンから田淵幸一氏が監督に就任したことも、故障明けの湯上谷さんには追い風になった。

 「田淵さんが(自分を)セカンドにするっていう話をしたんです。セカンド守備は負担の軽減になったかな。(トニー)バナザードは1年目は(二塁で)それなりに動いてたんですけど、打つ方(DH)に変わったんです。セカンドは僕の方が守備力を考えればいいんじゃないかという話になったんだと思います」

 遅れてきた男は田淵ダイエーの初年度となる90年、1番二塁で4月8日の開幕、近鉄戦(藤井寺)の舞台に戻ってきた。試合は9-8で惜敗。湯上谷さんは無安打ながら、無死二塁の場面で粘って進塁打を決めるなど渋い働きをしている。

 田淵ダイエーの初白星は遠かった。西武を迎えての平和台での初戦も敗れ、開幕から1分を挟んで4連敗。翌15日の西武戦でようやく5-3のスコアで初勝利を挙げた。湯上谷さんはこの試合2打数1安打2得点に1犠打と貢献した。

 二塁起用は吉と出た。その年、二塁のレギュラーとして活躍し、全130試合に出場。91、92年も二塁を守り3年連続で全試合に出場した。

 二塁を明け渡す形となったバナザードと湯上谷さんの関係性は興味深い。現役バリバリの大リーガーは南海最後の年となった88年に加入。二塁バナザード、遊撃湯上谷でコンビを組んだ。

 「手のさばきとかすごく勉強になったんです。グラブ使いが全然違う。体も柔らかく使えるし器用なんですよ。彼の体の動きを一つ一つ見ることで柔らかく体を使えるようになって守備の動きも良くなったんです。ウエートトレも勧められましたね」

 1年に3度の退場処分になるなど血の気が多いと言われた助っ人とは、グラウンド外でも一緒に過ごすことが多く発見があったという。

 「飲みに行ったり、飯食いに行ったり、はやってたディスコに一緒に行ったりもしましたが、遊びの中でもうまいこと体を使うんです」

 忘れられない言葉もかけられた。

 「お世辞だと思うんだけど、野球界でメジャーで通用するのは秋山幸二、佐々木誠、湯上谷竑志だって言ってくれたことがあって。格が違い過ぎるって話なんですけど。足が速くて肩が強いというのは、メジャーでも重要だと言いたかったんだなと。ウソでもそういうことを言ってくれると楽しいしうれしいよね」

 当時のやりとりを思い起こしてほほ笑んだ。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇湯上谷竑志(ゆがみだに・ひろし)1966年5月3日生まれ。富山県出身。石川・星稜高から84年のドラフト2位で南海入り。1年目から遊撃手として1軍出場を果たす。ダイエー時代の90年からは二塁のレギュラーとして活躍し3年連続全試合に出場。内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして活躍し、2000年に引退。プロ在籍16年で通算1242試合、打率・258、141盗塁。ソフトバンクの育成、1、2軍の内野守備走塁コーチを務めた。現在はもみほぐし店「りらくる」福岡小笹店のセラピスト。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

インサイド最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス