【芸能】リポート中に爆発事故→髪を焦がしながら翌朝も気丈に生出演 元日テレ人気女性アナの衝撃体験
元日本テレビのアナウンサーで「独占スポーツ情報」や「どんまい」でキャスターを務めた関谷亜矢子さん(61)は、朝の情報番組「ジパングあさ6」の初代キャスターとしても活躍した。NHKの独壇場だったという早朝の時間帯にスタートした番組は、放送を重ねるごとに視聴率を上げていった。現在はフリーアナとして活動する関谷さんが当時の失敗談、番組のロケで遭遇した事故などを振り返った。
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1992年にスタートした「ジパング-」は、同期の永井美奈子アナと週の前後半で交代してキャスターを務めた。
「そのころは、朝はNHKしか見られないような時代で、視聴率も視力検査みたいな数字が並んでたんですけど、うちもやってやろうじゃないかという同期のプロデューサーがいまして」
関谷さんは番組の立ち上げ当時を回想した。番宣用に、永井アナと2人で渋谷を訪れNHKに“殴り込み”をかけるコンセプトの映像も撮影。「これからは私たちが朝の時代を作るわ、といったものを撮って流してましたね」と懐かしんだ。
放送開始時間はタイトルにあるように朝6時。屋外で番組をスタートさせ、スタジオに入っていくスタイルだった。
「そこを通る人が見ていってくれたりして、楽しかったですね。朝の時間を切り開くじゃないですけど、だんだん視聴率が上がってきて、やりがいがありました」
局入りは午前4時ごろという朝型生活。「一回、寝坊をしました。迎えのタクシーのピンポンにも気付かなかった」と打ち明ける。目覚めたら番組開始30分前。飛び起きて家の前の道路に飛び出したという。
「冬だったんですけど、コートを着る間もなく、つかんだまま。道路のセンターラインの辺りまで出てタクシーを止める、もう狂った女。狂女でしたね」
切羽詰まった状況での自身の様子を説明した。
「でも間に合ったんですよね。今まで何のために早起きしてたんだろうって思うぐらい、間に合いました」
メークや髪の毛のセットをしてもらいながら原稿を下読みして本番へ。「下読みできないのもありましたけど、おはようございます!って」
綱渡りながら笑顔で番組のオープニングを迎えることができた。
命の危険にひんしたこともあった。番組用のロケで訪れたせっけん工場で爆発事故が発生。「目の前でリポートしてたら、爆発したんです。後ろにいたスタッフが私を押しながらドアをバーンと開けてくれて外に出られたから、助かったのかなと思います」
NHKの昼のニュースで取り上げられるほどの事故となり「うちの母が、ニュースで私の名前を見て焦ったみたいでしたね」
不幸中の幸いで大きなケガはなかった。手の擦り傷と髪を焦がしたものの、翌朝も気丈に番組に出演し、事故のニュースも読み上げた。
焦げて部分的にチリチリになった髪をごまかすため「全体にパーマをかけたら、全部チリチリになったと思われたみたいで」と視聴者から心配された当時を回想した。
大変な思いもした番組だったが、日々スタジオに立つことで生放送の面白さを実感したという。
「収録より好きかもしれません。何かが起きた時にどう反応するかといった、とっさの反応って、その人が出ちゃうじゃないですか。どれだけ準備したかとか、それまでの生き方も出ちゃうんで怖いんですけどね。ただ、その躍動感とか、ちょっとスリリングな部分も含めて好きでしたね。それに時間通りに終わりますからね」
笑みを浮かべて、その魅力を語った。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇関谷亜矢子(せきや・あやこ)1964年生まれ。東京都出身。国際基督教大学卒。88年に日本テレビにアナウンサーとして入社。「独占!!スポーツ情報」「どんまい!!スポーツ&ワイド」などのスポーツ番組、情報番組の「ジパングあさ6」などに出演。五輪はリレハンメル、長野を現地取材した。2000年に退社しフリーアナとなり、イベント、シンポジウムなどの司会などを務める。C.P.A.認定チーズプロフェッショナル、ワインエキスパートの資格を持つ。




