【芸能】起用理由に拍子抜けしたことも…「女子アナ」ブームを関谷亜矢子氏が分析 女性進出には「盛り上がりも必要だった」
元日本テレビアナウンサーでフリーアナの関谷亜矢子さん(61)は、「独占!!スポーツ情報」のキャスターなどを務め、男性社会だったプロ野球などの現場に足を踏み入れた。女性アナがスポーツニュースを読むこと自体が普通ではなかった時代だったが、「女子アナ」ブームと相まってスポーツキャスターとしても女性アナは注目を集めていった。先駆者となった関谷さんに当時の苦労を聞いた。
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関谷さんが日テレに入社したのは1988年。同期には村山喜彦さん、福澤朗さん、永井美奈子さんの3人のアナウンサーがいた。
入社試験での戸惑いを関谷さんは思い起こす。
「いろいろな原稿を読まされるんですけど、女性はスポーツニュースは読まなくていい、と。例えば、『ここでバッター清原』みたいなのは試験には入れませんって。今はみんな当たり前のように読んでるじゃないですか」
女性アナに求められていたのはニュースやナレーション、天気予報のリポートなどだったという。
そんな時代に、報道志望で入社した関谷さんがスポーツ番組に起用されたのはなぜだったのか。
「ラグビーの松尾雄治さんが引退されて『独占-』のキャスターを務めることになり、プロデューサーが松尾さんの横にいろんなアナウンサーの写真を並べて一番しっくりきたからだったと、あとで聞かされました。そんな理由なんだとちょっと拍子抜けでしたが、若めの女性アナウンサーがアシスタント的につくのが普通の時代でした」
番組で原稿を読むようになると、「女性が男性選手を呼び捨てにするとはなんだ」とクレームの電話が局に入るようになった。やむを得ず、しばらくの間、関谷さんは「○○選手」と「選手」をつけて原稿を読んだ。
「スピード感が必要とされるのに、いちいち選手をつけるとまどろっこしいんですよ。ここでランナー一、二塁、バッターは○○選手ってなると」
フラストレーションがたまった当時の状況を明かした。
女性アナがプロ野球の現場に出るようになったのは、フジテレビの中井美穂アナが88年から「プロ野球ニュース」の司会となったことがきっかけの一つだったという。他局も追随する形で女性アナを起用し、注目を集める存在となっていった。
「スポーツ番組を担当している各局の女性が集まって座談会をしたり、特集を組まれたり。一方でフジテレビは同期に華やかな3人がいて。時代なんでしょうね。それまでは女子アナなんて言葉もなかったし、そのぐらいからだと思いますね」
フジの同期アナで花の三人娘と呼ばれた河野景子さん、八木亜希子さん、有賀さつきさんの存在を挙げた。
現場取材では身だしなみに気を使うよう厳しく言われていた。
「当然スカートはダメとか、ヒールはダメとか、派手にしないとか。胸元はきちんとしてとか言われてる時だったので、ちょっとした緊張感がある。『女性が来ると戦闘意欲がなくなるんだよね』って選手に言われたこともありますから」
そんな状況を知ってか知らずか、長嶋監督は温かく迎えてくれた。
「『関谷さん、今日は何しに来たんですか。ほお取材ですか、野球がお好きなんですね』なんて言われて。清涼剤というか、ホッとさせていただけたというか。私だけじゃなく、慣れない後輩アナにも声をかけてくれたので、すごくありがたかったですね」
時代はめぐり、今では「女子アナ」という呼称自体が控えられる状況になりつつある。そうした環境の変化、流れを関谷さんは自然なものとして受け止めている。
「しばらくは女性がスポーツというのがはやった。今は当たり前のように女性も(現場に)来るし、今、また男性に戻りつつある。だから世の中って揺り戻していくのかなと。でも、女性が入っていくためには盛り上がりも必要だった」
現場で女性の居場所を切り開いていった1人として鋭く分析した。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇関谷亜矢子(せきや・あやこ)1964年生まれ。東京都出身。国際基督教大学卒。88年に日本テレビにアナウンサーとして入社。「独占!!スポーツ情報」「どんまい!!スポーツ&ワイド」などのスポーツ番組、情報番組の「ジパングあさ6」などに出演。五輪はリレハンメル、長野を現地取材した。2000年に退社しフリーアナとなり、イベント、シンポジウムなどの司会などを務める。C.P.A.認定チーズプロフェッショナル、ワインエキスパートの資格を持つ。




