【野球】食堂を揺らした長嶋茂雄さんのティー打撃「ネットが破れるかと」V9戦士吉田氏 巨人合宿の思い出
巨人、DeNAで編成部長などを歴任した吉田孝司さん(78)は、現役時代は強気のリードで知られた。森昌彦(祇晶)氏の後継者として正捕手の座に就き、負担の大きいポジションで20年の現役生活を送った。V9時代が始まった1965年に兵庫・市立神港(現神港橘)から巨人に入団した吉田さんが、合宿で経験した忘れられない出来事を明かした。
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巨人に入団した吉田さんが、最初に連れて行かれた場所は「合宿」だった。
今では伝説の聖地となっている多摩川グラウンド。その対岸、丸子橋のたもとに立つ建物を見た時のことを苦笑交じりに明かす。
「橋のすぐ横にある木造の2階建てでね。冬は寒い、夏は暑い。もう、すごいところですよ。『これが巨人の合宿か』というぐらい。びっくりした。でも、昔からそうだったんですけどね。ジャイアント馬場さんや、王さんも入ってたと言ってましたから」
歴代の先輩らも独身時代を過ごした由緒ある建物の記憶をたどった。
巨人の公式サイトによると多摩川河畔に合宿所「新丸子寮」が完成したのは1940年。吉田さんの入団時点では25年が経過していたことになる。
合宿で新人は忙しかった。
「電話当番、起床当番、食堂にあるダルマストーブ当番。1年生は、燃料の石炭がなくなったら、バケツで外に取りに行って加える。廊下も掃除するし、グラウンドに行くのに使っていたマイクロバスの掃除もあった」
当時から、本来の集合時間よりも30分ほど早く集まる「ジャイアンツタイム」も存在。当然のように起床時間も「早かったね。8時起床なら7時40分には『起床』って起こさないと。起床当番は鐘を持ってチリンチリンとね。武宮(敏明)さんが厳しかったですからね、鬼寮長。すごくお世話になった人だけどね」
部屋は、今年5月に亡くなった先輩捕手の宮寺勝利さんと同部屋だった。
多くの当番に追われた合宿暮らしの1年目。「一番の思い出」と目を輝かせて語ったのは、ある雨の日の出来事だ。
当時の巨人には室内練習場がなかった。後楽園球場での試合が雨で中止になると、そのまま休みになるケースが多かったが、3日ほど雨が続いた日に、合宿の1年生に指示があったという。
「合宿の食堂にネットを張ってくれと言われてね。ティーバッティングをするためのネットをわれわれが張ったら、1軍の選手が大挙してやって来た」
胸の高鳴りを抑え練習のジャマにならないよう、食堂の隅にいた吉田さんの目に飛び込んできたのは、長嶋茂雄氏の姿だった。
「長嶋さんのティーバッティングにはびっくりした。もう見たことのないような強さ。1軍の選手はみんなすごいんだけど、長嶋さんはひときわすごかった。ネットが破れそうな感じだった。ボールがガツーンとなって。それをすごい覚えてる。今の大谷(翔平)より、もっと速かったと思う」
興奮がよみがえったように身ぶり手ぶりを交えて、初めて目の当たりにしたスーパースターの打撃のすさまじさを表現した。
食堂で1軍選手が練習をしたのは1年間で、その1度だけだったという。
吉田さんら若手の雨の日の練習場所は橋の下だった。
「(合宿から)歩いて1分くらいの丸子橋、その橋の下でキャッチボールをする。プロ野球がそうだった」と楽しそうに振り返った。
「その後はキツかったよ。食堂や廊下で腹筋、腕立て伏せ、背筋とか強化練習。雨が上がったら、走れ!って。ガス橋までとか、上に行くと二子玉川までとか、こっちは10キロぐらいあったかな。すごくキツかった。高校時代と一緒や」
豪快に吉田さんは笑った。(デイリースポーツ・若林みどり)
◇吉田孝司(よしだ・たかし)1946年6月23日生まれ。兵庫県出身。市立神港(現神港橘)から1965年に巨人に入団。V9時代に2番手捕手として活躍し、入団10年目に正捕手に。84年に在籍20年で現役引退。通算954試合に出場、476安打、42本塁打、打率・235。76年の球宴で巨人の捕手史上初のMVP獲得。巨人でバッテリーコーチ、編成部長などを務め、2012年からDeNAのスカウト部長に就任、26年ぶり日本一の礎を作った。





