【芸能】EXILE敗退から10年でメジャーデビュー…有線奨励賞の木島ユタカ【前編】

 第50回の節目に終了する「日本有線大賞」の有線奨励賞に輝いた歌手・木島ユタカ(34)は、10月4日に発売したシングル「十年経てば」でavexからメジャーデビューを飾った。

 EXILEのTAKAHIRO(32)がボーカルの座を勝ち取った2006年のオーディションセミファイナル敗退から10年余り。少年時代に民謡全国大会グランプリに輝いた木島は原点の民謡に立ち返り、津軽三味線を手に和洋民謡を歌い継ぐ“三味線シンガー”として新たな一歩を踏み出している。

 異色のシンガーが自身の軌跡を明かす、今回はその前編。

  ◇  ◇

 念願のメジャーデビューは、車の移動中にサラリと告げられた。

 「正直言って実感が湧かなかった。三味線の弾き語りをやり始めてまだ1年たっていなかった。自分自身を高めていくことに没頭していたので、あんまりピンとこなかった」

 デビュー曲は、7月5日に発売したセカンドアルバム「和のこころ2 ~ケルティック編~」収録の「十年経てば」をシングルカットした。同曲はWinkの「淋しい熱帯魚」やアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のテーマ曲「残酷な天使のテーゼ」などを手がけた作詞家・及川眠子氏が、娘を思う父親の心境をつづった詞をスコットランド民謡にのせた。民謡で培った、芯の太い歌声と三味線を重ね、温かく心を揺さぶる一曲として聴く人の心をつかんでいる。

 「海外の民謡をカバーすることは意義があった。新しい発見があったので。『十年経てば』という曲は、三味線シンガー・木島ユタカの船出にふさわしい曲。EXILEのオーディションから、デビューしていった戦友を追いかけ、10年後に『十年経てば』でデビューというのは、不思議な感じがしますね」

 自身の経歴とタイトルがリンクした縁に笑顔を浮かべた木島にとって、現在のスタイルに至るまでは長い年月を費やした。

 3人兄弟の末っ子として兵庫県伊丹市で生まれ育ち、父の影響で5歳から民謡を始める。1978年から92年まで東京・日本武道館で開催された日本テレビ系「日本民謡大賞」に30歳から民謡を始めた父が出場するも敗退。「僕がかたきを取る」-父と二人三脚のレッスンが始まると、94年から2連続でジュニアの民謡全国大会グランプリを獲得した。

 民謡界で期待される存在だった木島は、高校卒業後に大阪スクールオブミュージック専門学校に通い、R&Bやポップスに興味を抱く。発声が違う民謡に限界を感じたことも重なり、5歳から慣れ親しんだ民謡と離れた。

 新たな道を切り開くため、かじを切って挑んだ大会が06年「EXILE VOCAL BATTLE AUDITION」だった。セミファイナル11人に残るも、日本武道館で行われたファイナルには届かなかった。

 「挫折ですね。父親には常々『トップを取らないと意味がない。2、3番でも光を浴びないと』と言われていた。端から見ると1000分の1まで残っていたので評価は頂きましたが、目指していた武道館には立てず手前で落ちたので悔しかった」

   (後編に続く)

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