ウオッカ死す…さらば平成の女帝 史上3頭目64年ぶり牝馬ダービーV

 G1通算7勝を挙げ、顕彰馬にも選出されたウオッカが現地時間1日、蹄葉炎のため、英国ニューマーケット近郊の牧場で死んだことが3日、分かった。15歳だった。牝馬ながらダービーを勝つなど、記録にも記憶にも残るスーパーヒロイン。平成を彩った名牝が、令和の訪れを前に天へ召された。

 平成を彩ったスーパーヒロインがこの世を去った。牝馬として64年ぶりにダービーを制すなどG17勝を挙げ、顕彰馬にも選出されたウオッカが、蹄葉炎のため1日に死んでいたことが3日、明らかになった。

 繁殖馬としてアイルランドで繋養されていたが、2月23日から英国ニューマーケット近郊の牧場に移動。3月10日早朝、スタッフが馬房内で右後肢の異変に気づき、病院に搬送されたという。その後は右後肢第3指骨粉砕骨折が認められ、骨折部位をボルトで固定する手術を行うなど、回復に向けての処置が続けられたものの、両後肢に蹄葉炎を発症。回復の見込みがなくなったことから、1日の午後に安楽死処置が取られた。

 過去10戦で手綱を取った武豊は「僕にとって大変思い出深い馬でした。名馬と呼ぶにふさわしい馬だと思います。ファンの多い馬でしたし、本当に残念なニュースです。ご冥福をお祈りします」とコメントした。

 栗東・角居厩舎へ入厩し、06年10月29日の京都でデビュー。同年の阪神JFをレコードで制して2歳女王に。翌年の桜花賞はダイワスカーレットに敗れて2着に終わったが、次戦はオークスではなく牡馬相手のダービーを選択した。常識破りの挑戦といった声を強烈な末脚でシャットアウト。1937年ヒサトモ、43年クリフジに続く史上3頭目の牝馬制覇を果たしてファンを驚かせた。

 その後は宿敵ダイワスカーレットとの激闘の末、約2センチ差で08年天皇賞・秋を制すなど、日本競馬界のトップホースとして君臨。08&09年安田記念連覇、ヴィクトリアマイル、ジャパンC-。積み上げたG1タイトル7勝は記録として言うまでもなく立派なものだが、その勝ちっぷりも含め、記憶にも残る名牝だった。

 10年ドバイワールドCを最後に現役を退く予定だったが、前哨戦のマクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3(8着)後に鼻出血を発症。本番を走ることなく引退した。その後は繁殖牝馬としてオープン馬のタニノフランケル(牡4歳・角居、父フランケル)などを輩出している。

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