大河ドラマ「べらぼう」暗躍する「丈右衛門だった男」とは何者か?徳川幕府の隠密の歴史とは 識者語る

 大河ドラマ「べらぼう」第33回は「打壊演太女功徳」。「べらぼう」には謎めいた1人の男が蠢いています。それが「丈右衛門だった男」です。一橋治済の陰謀の実行役を務める素性不明の男であり、登場した際に「丈右衛門」と名乗ったことからそう呼ばれています(実名は不明です)。丈右衛門は平賀源内を殺人者として陥れた男であり、旗本の佐野政言に接近し、田沼意知(老中・田沼意次の息子)に対する憎しみを掻き立てたりしました。「丈右衛門だった男」の素性は分かりませんが、忍びという説もあります。

 江戸時代の探偵吏は「隠密」と呼ばれますが、徳川幕府の隠密は当初は伊賀国の伊賀者、近江国甲賀郡の甲賀者が召し抱えられました。彼らは最初は間諜として活動した訳ですが、徳川幕府の職制が制度化されるに従って、江戸城の警備任務が中心となったのでした。「伊賀組」「甲賀組」に代わり隠密として活躍したのが、目付の配下の徒目付、小人目付といった役人です。彼らの任務は旗本・御家人の行動を監視することでした。

 徳川幕府の探索機関は他にもありました。それが有名な御庭番です。御庭番が誕生したのは8代将軍・徳川吉宗(将軍在職は1716~1745年。元紀州藩主)の時代でした。吉宗は将軍職継承の際に約200人の紀州藩士を幕臣に編入します。御庭番も旧紀州藩士で固められました。御庭番は「将軍独自の情報収集機関」とも評され、将軍の命令を受けて情報収集に当たっていました。前述の徒目付などは老中や目付の命令も受けて活動に従事していたとされますが、御庭番はそうではなかったのです。

当初、徳川将軍は「幕府の独裁者」として振る舞ってきましたが、時代が進むに従い、政治機構が整い、幕政の主導権は将軍から離れていきます。例えば大老や老中が実質的権限を持つようになるのです。しかしそうなると情報は将軍のもとに入りにくくなります。それではいけないと、幕政の主導権を将軍が握るため、吉宗は御庭番を創設したのでしょう。御庭番の創設には将軍権力を強化する意味合いもあったのです。

(主要引用参考文献一覧)

・深井雅海「徳川将軍の情報収集活動」(『情報管理』第34巻第3号、1999年)。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

関連ニュース

編集者のオススメ記事

サブカル系最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス