ジャンボ尾崎さん死去 直弟子の阿部桃子が悼む「ご指導いただいたことの一つ一つが自分の人生の礎に」
プロゴルファーの「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司さんが23日、S字結腸がんのため78歳で死去した。かつてプロゴルファーを目指して尾崎さんに弟子入りし、現在もゴルフタレントとして活動する阿部桃子(31)が24日、デイリースポーツの取材に応じ、師匠の急逝を悼んだ。
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ジャンボさんと初めてお会いしたのは、あるゴルフコンペで同じ組になった時でした。プロゴルファーを目指していた話をしたら、「もう一度目指すなら、うちに来てもいいぞ」と言っていただいて、そこから半年ほど、ジャンボさんの下でお世話になりました。
現役時代のジャンボさんは、私も映像でしか拝見していなかったんですが、多くを語らなくとも、背中で見せてくださる方でした。練習場にいてくださるだけで身が引き締まるというか…。存在感、オーラが圧倒的でした。
トレーニングでは、ジャンボさんの打席があるんですけど、そこに呼んでもらえると、直接指導が受けられる形でした。呼んでいただくと、頑張りを認めてもらえたと感じて、うれしかったですね。あと、私はすぐ「わかりました」と言ってしまうクセがあるんですが、「ゴルフって、そんな簡単にわかるもんじゃないよ。オレでもまだわからないんだから」とおっしゃっていたのが印象的です。
当時は芸能とゴルフの両立を目指していたんですが、やはり中途半端になってしまうのは両方に対して失礼だと思い、結果としては半年でジャンボさんのもとを離れることになりました。今、改めてゴルフの世界に戻ってきて、ご指導いただいたことの一つ一つが自分の礎になっていると痛感しますし、芸能の面も含めて、自分の人生の礎になっているとも感じています。
ただ、離れるときにきちんとごあいさつをできていなかったのが、本当に心残りです。息子さんの智春さんとは時々連絡していましたし、ご病気だったこと、ご体調が悪そうだということも、風のうわさではうかがっていたんですが…。
ジャンボさんは、本当に口数は多くないんですが、その生きざまで周囲の人間を魅了する方でした。私もジャンボさんに教わったことを心に刻んで、今後とも頑張っていきたいと思います。
◇阿部 桃子(あべ・ももこ)1994年9月17日生まれ、千葉県出身。2017年度ミス・ユニバース・ジャパン。19年4月からオスカープロモーションに所属し、今年10月末で独立。ゴルファーとしても活動し、15年には「大東建託・いい部屋ネットレディス」に出場。父はリポーターの阿部祐二。
