渡哲也さん死去…石原軍団 悲しみ押し殺し静かに送った 舘ひろし、神田正輝ら談話出さず

 石原裕次郎さんの17回忌法要で神田正輝(左)、舘ひろし(右)と渡哲也さん=2003年7月
 入院している病院の屋上から姿を見せた石原裕次郎さんに付き添う渡哲也さん(左)=1981年6月
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 俳優の渡哲也=本名・渡瀬道彦=さんが、10日午後6時30分に肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが14日、分かった。78歳だった。葬儀・告別式は故人の強い希望により、14日に家族葬として渡夫人が喪主を務め、営まれた。法名・萬修院泰然自道居士。お別れの会、偲ぶ会等については故人の意向により実施しない。石原プロモーションは7月に、来年1月16日をもって解散することを発表したばかり。事務所が58年の歴史に幕を下ろす直前に、敬愛する石原裕次郎さんのもとへ旅立った。

 石原軍団は、悲しみを押し殺した。渡さんの遺志に沿い、あくまで「静かに送りたい」との信念から、舘ひろし(70)、神田正輝(69)ら後輩たちは、あえて談話を出すことはなかった。故人へのあふれる敬意と、結束の強さゆえの計らいだった。

 特に舘にとって、渡さんは恩人だった。「西部警察」シリーズでの共演を機に絆を深めた舘は83年、自ら志願して石原プロに入社。渡さんを公私ともに慕い、自身もその背中を追い続けて看板俳優として成長した。常々、「俳優として何とかやっていけているのは、渡のおかげ。石原裕次郎さんや小林専務もいらっしゃいましたが、原点は渡さんがいたから。たぶん、それがブレたら自分が自分でなくなるという気がする」と“親方”への恩を口にしていた舘。軍団解散後についてのスタンスについて問われた際も、「私個人としては、石原プロにお世話になったときは、渡に全てを預けてお世話になったわけですから、渡次第だと思います。渡がどうするか、ゆっくり話し合っていきたい」と話すなど恩師を立てていた。

 渡さんは夫人や長男ら親族による家族葬で旅立ち、関係者によると、舘や神田ら石原プロの所属俳優たちは、最期の対面はしていないという。しかし、師匠の人柄を知り尽くしているからこそ、「静かに送ってほしい」という遺志を守り抜くことが、石原軍団としての矜持だった。

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