長嶋茂雄さん最期の様子が明かされる 5月下旬に肺炎悪化も「三奈さんのお誕生日まで頑張った」
肺炎のため3日に89歳で亡くなった元巨人・長嶋茂雄さんの通夜・告別式が、7日と8日にそれぞれ東京都の桐ケ谷斎場で営まれた。
近親者のみで執り行われ、通夜には計126名が参列。親族は喪主の次女・三奈さんや長男の一茂氏ら、巨人V9のチームメートや監督時代の選手・コーチ、阿部慎之助監督やコーチ陣、岡本和真内野手や丸佳浩外野手らも出席した。
祭壇には笑顔の長嶋さんの写真、背番号3のユニホームや天覧試合で本塁打を放ったバット、三奈さんの希望で巨人軍のカラーであるオレンジや白の花が飾られた。
葬儀委員長の山口寿一氏(読売新聞グループ本社代表取締役社長・読売巨人軍取締役オーナー)は、長嶋さんの最期について説明。「先月下旬に肺炎が悪化しましたが、血圧が下がりながらも、そこからお医者様が驚くほどの頑張りを見せて、一度は持ち直しました。先月31日に重篤な状態となりましたが、この時も持ちこたえました。今月2日の夜、私がお見舞いに行った時は、眠っているご様子でした。翌日の6月3日、三奈さんのお誕生日の朝、静かに息を引き取りました。三奈さんのお誕生日の日まで頑張ったのだと思います」と、明かした。
長嶋さんの棺を乗せた車は7日午後2時33分に自宅を出発。3時13分から24分にかけて東京ドーム周辺を通り、4時3分に都内の斎場に到着した。この時も、“奇跡”が起こっていたという。
山口氏は「本日も、ご遺体が東京ドームの周りを1周して、この会場に到着したその時間帯に増田陸と丸と2本のホームランが飛び出したそうであります」。5連敗と苦しんでいた巨人だったが、六回に増田陸、丸がソロ2発を放ちチームは交流戦初勝利を挙げた。
▽葬儀委員長・山口寿一氏の挨拶全文は以下。
本日はご多忙の中、読売巨人軍終身名誉監督・故長嶋茂雄の通夜にご参列をいただきましてありがとうございます。巨人軍オーナーの山口でございます。ご遺族と相談して、通夜・告別式は密葬の形で行うことにいたしまして、ご参列いただくのは、ご親族とジャイアンツの関係の方々に限らせていただきました。
長嶋監督は穏やかに最期の時を過ごしました。先月下旬に肺炎が悪化しましたが、血圧が下がりながらも、そこからお医者様が驚くほどの頑張りを見せて、一度は持ち直しました。
先月31日に重篤な状態となりましたが、この時も持ちこたえました。今月2日の夜、私がお見舞いに行った時は、眠っているご様子でした。翌日の6月3日、三奈さんのお誕生日の朝、静かに息を引き取りました。三奈さんのお誕生日の日まで頑張ったのだと思います。
監督は病室で「痛い」「つらい」といった言葉は一切、口にしなかったそうです。例えば、喉の吸引は痛みを伴うようですが、看護師さんが吸引をしていいか尋ねると、監督はいつも力強くうなずいたそうです。決してくじけない長嶋監督の姿は、看護師さんたちに強い印象を与えたようでした。集中治療室だったにも関わらず、病室には、ジャビットの写真や、オレンジ色の手作りのペーパーフラワーが賑やかに飾られて、監督を励ましました。看護師さんたちが思い思いに飾ったものでした。看護師さんたちもすっかり長嶋ファンになっていました。最期まで、周りの人々に感動を与えてドラマを残しました。
本日も、ご遺体が東京ドームの周りを1周して、この会場に到着したその時間帯に増田陸と丸と2本のホームランが飛び出したそうであります。私たち巨人軍は、長嶋監督の不屈の闘志を受け継いで、強いジャイアンツになるよう、全力を尽くします。皆様のご遺族への変わらぬご厚情をお願い申し上げまして、本日の御礼のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございます。