「トンネルしてお客さんが喜ぶ。そんなの長嶋さんしかいない」巨人OBが語る長嶋茂雄さんの魅力 誕生日には同僚に花や贈り物、繊細な一面も

 プロ野球の国民的スーパースターで、元巨人・長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。読売新聞や巨人が発表した。89歳だった。

 ミスターの愛称で親しまれ、88年には野球殿堂入り。そして、13年には国民栄誉賞を受賞した。プロ野球界の枠を超えた、まさに国民の宝。プレー、そして言葉でファンを魅了した。

 現役時代、長嶋さんと一緒にプレーしたデイリースポーツ評論家・関本四十四氏(元投手)はニュースで訃報を知り、「野球界だけでなく、日本を大きく変えた人だから。同じチームでプレーできたのは、奇跡のような出来事だった」と追悼した。

 関本氏は現役当時を回想し、「平凡なゴロを大トンネルして、お客さんがみんな喜ぶ。そんなの長嶋さんしかいない」と振り返る。プロ1年目はベースの踏み忘れで本塁打が取り消される珍プレー。“幻”の1本で大台の30発に届かず、29本塁打に終わった。

 良くも悪くも、物事を深く考えない性格だった。「ベンチから三塁けん制のサインが出て、マウンド上からミスターに『けん制入れますよ』と合図を送る。でも、ミスターがグラブをパッと外して『取り消し』のサインを返してくる。もう一度、ベンチを見ると『けん制』だと。それでも、ミスターはグラブを外している。『バッターと勝負して打ち取れ』って。そういう人だった」。

 監督1年目には、他球団がほくそ笑む失敗もあった。ミーティングで選手に「私は動の監督だから三塁コーチに立つ」と宣言。開幕直後は三塁コーチャーボックスから指示を送った。サインはコーチャーボックスの立ち位置で盗塁、エンドラン、バントに設定したが「一球ごとに忙しく動き回るもんだから、相手ベンチにバレバレだった。相手が笑っていたよ」という。

 ただ、“ゾーン”に入った時は誰にも手が付けられなかった。「試合になると、スイッチを入れるんだ。筋肉をカーッと刺激させる塗り薬を胸に塗って。焼けるように痛い。そんなことするの、ミスターだけだった」。

 豪快さばかりが目立ったが、周囲を気遣う繊細な一面もあった。「選手とかコーチとかの誕生日をよく覚えていて、贈り物をしていた。俺もハワイに行った時、『彼女にあげろ』って花をもらったことがある。花が好きな人だった」。監督時代、FA権を行使して他球団移籍を模索していた槙原の自宅へ出向いた際にも、バラの花束を持参した。

 超スーパースターと共有した時間は、一生の誇りだ。「憧れの人だった。1年目に初めて『おい坊や、キャッチボールやろう』と指名された時のことは忘れられない。緊張して、ボールが手から離れなかったもんな。マウンド上から右を見ればミスター、左を見れば王さん。あの光景も忘れられない。これは堀内さんも当時の選手は皆言っているんだ。ひ孫にまで自慢できる」。その魅力は永久に、語り継がれることだろう。

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