長嶋茂雄さん 病魔との闘い幾度もはね返す 弱さ見せずスーパースターの生涯貫く
プロ野球の元巨人・長嶋茂雄さんが3日、亡くなった。89歳だった。
現役時代、数々の伝説を作り、国民的なスーパースターとなった長嶋さん。引退後は度重なる病魔に襲われたが、そのたびに不屈の精神で奇跡の復活を遂げ、太陽のような存在としてファンの前で輝きを放ち続けてきた。
奇跡の始まりは2004年3月。脳梗塞で倒れて緊急入院し、一命こそ取り留めたものの、右半身に麻痺が残った。アテネ五輪野球日本代表監督として指揮を執ることも断念。以来、周囲が「リハビリではなく、トレーニング」とも言うほどの、過酷なリハビリを自身に課す生活が始まった。
早朝から自宅周辺をウオーキングし、トレーニング器具のある自宅内でも膝、腹筋、背筋、麻痺の残る右手など、各部位を徹底的に強化。05年7月には東京ドームで行われた巨人戦に姿を見せられるほど回復した。13年4月には、愛弟子の松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を受賞。5月5日の巨人-広島戦の前には片手打ちで松井氏が投げる始球式の打席に入り、ファンの心を打った。
18年7月には胆石が見つかり、再び、闘病生活に。同年末に退院したが、ここでも療養を経て、リハビリを継続。長期入院で筋力が著しく低下し、車いす生活も経験しながらまたも奇跡的な復活を遂げた。
21年7月の東京五輪開会式では盟友の王貞治氏、松井秀喜氏とともに聖火ランナーを務めた。自力で懸命に歩く姿は、いかなる困難にも屈しない、ミスターの生き様が表れていた。
近年は丸や中田が不調で2軍落ちすると、ジャイアンツ球場まで足を運び、熱血指導。巨人や選手への思い、愛情は変わらず、生涯野球人を貫いた。
22年9月には軽度の脳出血で入院。心配されたが、23年3月31日、巨人の開幕戦を観戦するため、東京ドームに姿を見せた。今年3月には大リーグ・ドジャースと巨人のプレシーズンゲームが行われた東京ドームを訪れ、ドジャース・大谷翔平投手らを激励した。
「野球界のために。もっと一生懸命に-」。現役時代、人一倍ストイックに練習を積んできたミスター。引退後も人前では弱さを見せず、ひたすら目標に突き進んだ。「スーパースター長嶋茂雄」を貫き続けた生涯だった。





