楽天・浅村「野球辞めるわ」説得した親友との絆 偉業に隠された大阪桐蔭時代の秘話 同学年の主将・森川真雄さん語る
平成生まれでは初の2000安打を達成した、楽天・浅村栄斗内野手(34)の素顔をクローズアップする。浅村が「親友」と呼び、結婚式で友人代表スピーチも行った大阪桐蔭時代の主将・森川真雄さんが、今だからこそと数々の武勇伝を明かした。
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親友…改まって言われると、少しだけ恥ずかしい。だが、うれしそうに森川さんは笑った。「結婚式の友人あいさつしてくれ、とか。困った時にすぐ連絡が来るんですよね、そういう時だけ」。一緒に過ごしたのは大阪桐蔭時代の3年間だけ。その後は別々の道を歩むことになった2人だが、変わらない絆がある。
1年生の終わりの頃だっただろうか。記憶は定かではないが、森川さんが忘れられない日がある。「俺、野球辞めるわ」。とにかく厳しかった高校時代だ。学校から野球部のグラウンドまで約4キロをランニングで移動する野球部伝統「山ラン」や、真夏にはグラウンドコートとマスク姿で猛練習。浅村は「いろいろと犠牲にしてやりたくない」と決意した。
同じ内野手として自然と一緒にいることが多かったこともあり、森川さんは説得を始めた。引き留めるために選んだ言葉はシンプル。「もったいないよ」。浅村はプレーでは誰もが認める存在だった。2人きりで話した後は、仲間を巻き込んで引き留めに成功した。
先輩らの夏が終わり、新チームで森川さんが主将になった。3年春のことだ。エース・福島、4番・萩原が副主将を務めていたが、突然、西谷監督から「浅村も副キャプテンにしようと思っているんだけど、どう思う?」と相談された。そこから副主将が3人体制になってチームを背負う肩書がつくと、徐々に振る舞いにも変化が生まれた。
「黙ってプレーするだけじゃなく、意見も積極的にする。野球に向き合うようになったのかな」
浅村がプロ入り後も、その関係は色あせない。結婚式では野球選手がズラリと並ぶ前で、友人代表スピーチを頼まれた。人目をはばからず涙する“心友”に、「栄斗が大泣きしているのを見て、全部内容が飛んだよ」と笑う。だが、伝えたい思いは一つしかなかった。「おまえと出会えて本当に良かったよ」-と。





