重鎮に聞く「愚痴」論
【1月9日】
関西経済界の重鎮とランチをともにした。長年お世話になるこの御方とご一緒するのは実はひと月ぶり。つい先日、神戸で「良いお年を…」と頭を下げたばかり…ありがたいことだ。
縁あってこの20年ほどで多業種のトップと交流をもたせてもらうようになった。運送、金融、量販、音楽…。
お時間あれば?と誘われれば喜んで足を伸ばしてきた。この方々と会う度に感じることは様々。例えば目線だ。成功者に共通するのはモノの捉え方という意味のそれをこちらと対等、もしくは下にして語ること。「下」といえば伝わりにくいが、つまりは謙虚。大物ほど対人にマウントを取る必要もない。目下にも大方敬語である。
さてこの日、冒頭の重鎮と食事しながら聞いてみたくなった。
ずばり「愚痴」について。
組織のトップに立つまでの苦心、そこに立って凌いできた難局も筆者の想像を超える。「愚痴」の一つや二つ吐きたくなったこともあるだろう。
このワード…個人的に年始の惹句である。というのも先日、阪神のルーキーたちに心得を説いた藤川球児が「愚痴」について言及していたから。
「ときに納得のいかないことがあったり、キャンプ、シーズン中、不遇な思いをするかもしれない。その時に愚痴が出ているようでは成長が止まりますから。そういった選手が近くにいれば、離れてほしいなと思います」
これを聞けば、耳が痛いオトナは多いはず。生きていれば、愚痴はそこらじゅうに飛び交っている。80歳近くになる重鎮にその話を伝えてみると、こんなふうに言うのだ。
「サラリーマンの世界ではお酒の場の息抜きみたいなもので、みんな愚痴を言うこともありますね。藤川監督は若い選手に何かを感じさせるように仰ったのか、マイナスのイメージを持たないように仰ったのか。そっち(マイナス)の方へ引っ張られるなという。その言葉を聞いた者がどう捉えるかじゃないですか」
各々がどう咀嚼するか。結局は受け手次第。そんなアンサーだった。
そのあたり、22歳にして達観する受け手はドラ1ルーキーである。
「自分にベクトルを向けられていない人で伸びた選手を見たことがないので、その通りだと思う」
球児の訓示に対し、立石正広はそんな趣旨の反応をしていた。大物だ。
ベクトルを他者へ向けていないか? 自問しながら、ふと身近で謙虚な大物を思い出した。この正月に「劇団四季」のミュージカルを薦めてくださった阪神電鉄本社の役員もこちらが恐縮するほど言葉遣いが慎ましい。この方の哲学は間違いなく「他責の者は評価しない」。いつも話を聞きながら勝手にそう捉え、生き方、振る舞い方の参考にさせてもらっている。
常日頃から誰かへの不満を漏らし、仕事をしている…阪神の指揮官にはそういうものが見えているのか。愚痴が一つもない世界はない。が、それが過ぎる者、ベクトルが他者へ向く者は確かに見苦しく魅力はない。=敬称略=
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