伝説のシンカーを思えば
【7月18日】
ロサンゼルスでエージェント会社を経営する知人に連絡した。この方、米国のプロスポーツに精通していてMLBやNFL、NBAに顔が広い敏腕でかれこれ20年ちかくお世話になる。
MLBではボンズやソーサ、ランディ・ジョンソン、NPBでは金本知憲や藤浪晋太郎とも親交があり、最近はよくプホルスと一緒にゴルフを楽しむ写真を送ってくださるのだが、今回、なぜこちらから電話したかといえば、この方がかつてラファエル・ドリスのエージェントを務めていたからだ。
阪神を退団したドリスがトロント・ブルージェイズで注目を集めた頃にこの知人と話した記憶を掘り起こせば、あのときMLBで高評価を受けたのが独特のシンカーだった。203勝右腕ロイ・ハラデイとバッテリー経験のあるブ軍の指導者(元捕手)がドリスの投球を何球か見て「ハラデイの球を受けて以来見たこともないようなシンカーを投げる」と、当時語っていたこともその方から教えてもらった。
ハラデイといえば、松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースでのデビュー戦初打席で対戦した投手として日本でも有名になったが、その松井が後のインタビューで「最も打ちづらい投手」と語った右腕。僕も彼の生マウンドを一度だけ見たことがあるけれど、さすが二度のサイヤング賞…変化球は何を投げてもえげつない軌道だった。日本のスポーツ紙なら即「ドリスのシンカーハラデイ級」と書き立てるようなトピックが懐かしいが、果たして、ドリちゃんはこの評価を耳にしていたのだろうか…。「ドリス阪神復帰」の記事を目にしてそんなことを思った。
ハラデイが自家用機で墜落事故に遭って死去したのは17年だから、あれからもう8年が経った。誰もが知る2000年代のMLBを代表するレジェンドだけど、彼の訃報を思い起こせばやるせなくもなる。
訃報といえば、この日は横田慎太郎の三回忌である。横田が頭痛を訴えた17年の沖縄キャンプ、あのときの監督金本知憲の心配顔が忘れられない。経過や実情を耳にしながら何も言えない苦悩も伝わってきたけれど、この世界を取材していて、若い命が絶たれるほど字にするのが辛いことはない。
なんとしてもチャンスが欲しい。逃したくない。若さゆえに多少の無理をしてでもそれを掴みにかかる。あの春の述懐を後に様々な関係者から聞いたが、横田もきっとそうだったと思う。
これくらいどうってことは…。プロで生き抜く決意をした者はみんなそうなのかもしれない。
金本には今も口にしない横田へ深慮がある。悼み、悔やみはなかなか言葉にできないと思う。そんな中でこの日大山悠輔が発した誓いが刺さる。
「いろいろと思うところはあります…。こうやって野球ができていることが当たり前ではないということを改めて胸に刻んでいかないといけないと思いますし…」
日常の当たり前をそうではないと思い、尊び、噛みしめること。逸しがちだけど、刻みたいと思う。=敬称略=
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