黒と赤のレガース
【9月22日】
ヒヤリとした。八回表である。先頭の近本光司がヒットで出たあと、続く中野拓夢が自打球を右脚に当ててしまった。レガースのない箇所だっただけに、快足ルーキーの顔が歪む。大丈夫か…。
この打席、外野フライに倒れ、ベンチへ下がった中野はうつむきながら歯を食いしばっていた。
ユニホームを脱げばきっと内出血が広がっているはず。トレーナーに個別取材できないご時世だから、詳細は不明のまま。骨か肉かと聞かれれば、肉か。でも、だからといって軽症とは限らないわけで、心配症なオッサン記者はその裏から中野の動きを注視した。
ここナゴヤで快足の左打者が自打球を当てる…あのときは重症だったんだ。
ときは、2002年。赤星憲広が中日戦で自打球を右ひざ下部に当てて倒れ込み、そのまま退場。名古屋市内の病院へ直行し「右下腿(たい)部打撲」と診断されたが、帰阪後痛みが引かないため、MRIによる精密検査を受けた結果、「右脛(けい)骨骨折で全治6週間」であることが判明した。3カ月以上の欠場を余儀なくされてしまったのだ。
このとき、赤星とよく話をしたけれど、本人の無念を聞けばいたたまれなかったし、何よりも彼の戦線離脱は、当時の星野仙一政権にとって大きな痛手…早期復帰を願うばかりだった。
新人年に盗塁王に輝いた赤星は、「足を活かすために」レガースの装着を嫌った。これが裏目に出た大ケガだったわけだけど、今は用具も進化。快足の邪魔にならないレガースを…って、そんなハナシを書きながら思いだした。
年始、鳴尾浜のコンビニで旧知のスラッガー(久保田運動具店)担当者に出くわした時のことだ。
「あ、これから風さんも入寮の取材へ行かれるんですか?」
いや、ウチは若い記者が行くと思うよ。そういえば、今年のルーキーで、誰かスラッガーの用具を使う選手っているの?
「はい、一人います。ドラフト6位の中野選手なんですよ。下位(指名)なんですけど、もともと守備に定評がある選手ですし、1軍で活躍してもらえたら…」
メーカーさんにとっては、用具提供する選手がレギュラーを獲ってくれるに越したことはない。だけど、6位入団が入寮日に脚光を浴びることはまずないわけで、あの日、メディアの注目は佐藤輝明に集中。中野は完全に〈脇役〉だった。が、その翌日、視線が集まったのは6位ルーキーだった。
極寒の鳴尾浜でいの一番、新人で唯一マシン打撃を敢行したのが中野だった。寒くない?そう問われた中野拓夢は答えた。
「全然、東北の方が寒いと思うので。大丈夫です」-。
ナゴヤでスラッガーのバット、グラブ、そして、レガースが映えた。虎のドラ6が101安打目を奏でた夜である。拓夢に回せ。拓夢が何とかしてくれる。最終回、そんな掛け声がおそらく全国で飛んでいた。中野はそんなスラッガーに成長した。=敬称略=