【阪神ドラフト選手特集・能登嵩都(上)】一本気で真面目な性格で成長 高3時に甲子園へ 中学では3番手、悔しさを糧に

 オイシックス新潟時代の能登嵩都
 幼少期の能登少年(父・進さん提供)
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 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回はドラフト5位能登嵩都投手(24)=オイシックス=。小4年時に始めた野球の実力は、一本木で真面目な性格で着実に成長していった。

  ◇  ◇

 能登嵩都は2001年9月29日に北海道旭川市で誕生した。両親と妹の4人家族。幼少期は負けん気が強く活発でやんちゃな性格だったという。

 神居小4年時に神居野球少年団に入り、野球人生がスタートした。ポジションは投手と捕手。「昔から投げるのが得意で、父親とキャッチボールをしていたのが始まり」。小学校ではやったドッジボールでは誰よりも球が強かった。少年団の児童から勧誘を受けたことがきっかけで加入した。

 小学5年時ですでに球速は「110キロちょっと」。当時からすでにセンスはあった。その頃から漠然と「プロ野球選手になりたい」という夢が膨らんでいた。小学校ではとにかく野球を楽しんだ。

 中学では旭川大雪ボーイズに加入。ここで投手に専念した。理由は「投手がかっこいいし楽しかった」。球速は「120キロちょっと」まで伸びた。それでも強豪チームということもあり、立ち位置は3番手。「全国大会にも出たのでいい経験はできたのかな」と振り返るが、ここで感じた悔しさはその後につながった。放課後から暗くなるまで約2~3時間の練習を積み重ねた。

 高校は強豪の旭川大高(現旭川志峯高)に入学した。監督として指導した端場雅治氏は当時の課題に「制球力」を挙げた。「あいつは手足が長いので自分の体の使い方を覚えるというか、そこはやっていましたね」と語る。

 制球力改善へ。自ら課題を課した。「練習試合が終わった後、1個フォアボールを出すごとにタイヤ押しのトレーニングをやっていましたね。2つ出せば2回。10回出したとしたら10回やりますよ」。グラウンドの端から端まで約30メートル。タイヤを押しながら進む過酷な練習を行った。「自分で自分に罰を与えていたんじゃないですかね。精神的に」。端場氏が「一本気で真面目」と語る通り、トレーニングにも性格が出た。

 自身の代には投手が能登ともう一人しかいなかったといい、「自分がやらなきゃという自覚が出てきたのかな」と振り返る。「自分のやることを黙々とやるタイプでしたね」。選手を引っ張っていくようなタイプではなかったが、真面目な姿勢は野球部全体に良い影響を与えていた。そして高校3年時には夏の甲子園に出場することになる。

 【能登嵩都(のと・しゅうと)アラカルト】

 ◆生まれ 2001年9月29日生まれ。24歳。北海道旭川市出身

 ◆投打 右投げ右打ち

 ◆サイズ 184センチ、88キロ

 ◆血液型 A

 ◆家族構成 両親、妹

 ◆球歴 小学4年時に神居野球少年団で野球を始め、中学時代は旭川大雪ボーイズに所属。高校は旭川大高(現旭川志峯高)に進学し、3年夏に甲子園出場。桐蔭横浜大を経てオイシックスに入団。25年はイースタンで投手4冠

 ◆趣味・特技 バスケ、舌を鳴らすこと

 ◆好きなアーティスト ブラックピンク

 ◆好きな食べ物 家系などのこってりラーメン

 ◆好きな言葉 天下無双

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