【ドラフト選手特集・早瀬朔(上)】家族は阪神ファン 小2から始まった父と兄と毎日5時間の練習漬け
10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回はドラフト4位の早瀬朔投手(18)=神村学園=。阪神ファンの家族の中で育ち、父と兄との猛特訓で名の知れた小学生だった。
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“次男の宿命”だった。早瀬は阪神ファンの家族と野球好きで5歳年上の兄の影響を受け、物心がついた頃から自然と父や兄とキャッチボールや打撃練習を行った。当時の姿を父・尚徳さん(50)は、「マイペースな子でした」と懐かしそうに振り返る。
初めてボールを投げたのは2歳の時。兄のグラブを自ら左手にはめ、落ちていたボールを拾って右手で投げた。「投げ方や打ち方を何も教えていなかったので。僕と長男が練習している姿をずっと見てたんでしょうね」と尚徳さん。野球の才能を感じる一幕に「一番記憶に残っています」と話した。
3歳ごろには甲子園球場に足を運び、家族で阪神戦を観戦。気づけば野球一色の生活を送っていた。小学2年から西脇ワイルドキッズで野球を本格的に始めると、投手と遊撃手を務めた。この頃から始まった“練習漬け”の日々が早瀬の野球の基礎を作っていく。
学生時代は剣道部で野球経験がない父から、ネットやYouTubeなどで研究した独自の指導を受けた。ノック、打撃、投球練習の3セットをほとんど毎日、帰宅後から寝る直前まで兄と3人で5時間の猛特訓。明るい時間は公園で、夜は家の中でゴムボールを打つなどで壁はへこみ、部屋の中が「ぐちゃぐちゃ」状態になるほど練習に明け暮れた。
「投球にもいいんじゃないか」と父の勧めで、小学4年から合間を縫って週に2、3回、水泳も習った。2時間の練習で「背中の筋肉だったり、呼吸も投手は必要になる。(習って)よかった」と早瀬。負けず嫌いな性格からハードなスケジュールをこなし、名の知れた小学生となった。
中学も神戸中央リトルシニアで野球を続けることを決意したが、思うようにはいかなかった。控え投手としてエースと明らかな技術の差を感じた。「エースを超えるにはどうすればいいか」。考えを巡らせてたどり着いたのは、まず球速を上げることだった。
早瀬は入学当初100キロだった球速を伸ばし、121キロに到達。土日はチームの練習を行い、平日は父と兄と猛練習を続けて成長したが、球速135キロのエースまでは及ばなかった。一番の挫折は「中学の3年間だった」と話す。
それでも夢を諦めなかった。「プロに行くには最低でも球速150キロは必要」と、地元を離れて神村学園への入学を決意した。
【早瀬朔(はやせ・さく)アラカルト】
◆生まれ 2007年8月30日生まれ。兵庫県丹波市出身
◆家族構成 父、母、兄
◆サイズ 185センチ、79キロ
◆血液型 O
◆投打 右投げ左打ち。最速151キロ。球種はスライダー、フォーク、チェンジアップ
◆球歴 丹波市立東小2年から西脇ワイルドキッズで野球を始め、氷上中では神戸中央リトルシニアに所属。神村学園では2年春、2年夏、3年夏に甲子園に出場し、3年時にU-18W杯の日本代表に選出された
◆足 50メートル走6秒8
◆遠投 110メートル
◆趣味 音楽を聴くこと
◆好きな音楽 back numberのクリスマスソング
◆好きな食べ物 ラーメン
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