【阪神ドラフト選手特集・立石正広(中)】線が細かった中学時代誰にも負けない練習量で実力UP 高川学園中で「現実知れた」

 創価大・立石正広
 高川学園中に進んだ立石(本人提供)
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 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回はドラフト1位の立石正広内野手(22)=創価大=で、強豪の高川学園中時代を振り返る。

  ◇  ◇

 強豪の高川学園中に進むと、周囲のレベルの高さに驚いた。「小学校では自分が絶対に勝てない人を見たことがなかったけど、すごい選手がいっぱいいるんだなと、現実を知れた」。指導者も同じ見解だった。中学1年時にコーチとして出会い、2年の春から監督として、さらに高校1年の冬からも監督として指導を受けた、松本祐一郎氏(現高川学園高監督)は「手足は長いけど線は細く、他の子よりも見劣りした」と印象を振り返った。

 ただ、立石の心が折れたわけではなかった。むしろ、試合に出て活躍する同級生を見るのが、ただただ悔しかった。他の選手に勝つため、とにかく練習した。家にあった打撃練習場で、毎日帰宅後に自ら進んでバットを振り込んだ。当初は父・和広さんに誘われてやっていたが、がらりと変わった。練習に付き添っていた父が嫌がるほどの量をこなした。

 松本監督もよく覚えていた。「後にも先にも、これだけ練習する子はいません。びっくりするくらい継続性がある。誰よりも早く出てきてバットを振っているし、中学生で明確に目標を立てていた」。黙々と野球に打ち込む姿に驚かされた。

 野球では負けず嫌いの一方、私生活では穏やかな性格だ。決して前に出たがるタイプではなかったが、自然と周囲に人が集まった。松本監督は「礼儀とか立ち振る舞いについて話したことはない。本当に今の中高生に教材にしたい選手」と、人間性にほれ込んでいた。

 誰にも負けない練習量で力をつけていった。当時、高川学園高の監督だった、西岡大輔部長(中学時代はDeNA・藤浪とチームメート)は、立石の成長をさらに促すため、一塁から三塁にコンバートすることを決めた。高校では県外から来る選手も多く、さらにレベルも上がっていたが、中学時代と違って1年秋からベンチ入り。中国大会では逆方向へ強烈な一打を放ち、「ひと冬越えればすごい選手になる」と期待値が上がった。

 しかし、その冬を越えた先に試練が待っていた。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るった。高校球児たちは、次々と活躍の場を奪われていった。

 ◆立石 正広(たていし・まさひろ)2003年11月1日生まれ、22歳。山口県出身。180センチ、87キロ。右投げ右打ち。高川学園では3年夏に甲子園出場。創価大を経て、今年度ドラフト1位で広島、日本ハムとの競合の末に阪神の指名を受けた。趣味はお笑い鑑賞。座右の銘は「恩返し」。

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