吉田義男さん死去 殿堂入りの名遊撃手「牛若丸」85年阪神初の日本一監督 3期8年ユニホーム脱いでも猛虎愛変わらず

 阪神初の日本一を果たし、胴上げされる吉田監督=1985年11月2日、西武球場
 巨人戦で超美技を見せる吉田義男さん=1987年
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 阪神は4日、球団初の日本一に導いた元監督で野球評論家の吉田義男さんが、3日に脳梗塞のため死去したことを発表した。京都府出身。91歳。現役時代は華麗かつ堅実な守りで「牛若丸」と言われ、名遊撃手として活躍。引退後は3度にわたり合計8年、阪神の監督を務め、1985年には21年ぶりのリーグ制覇、球団史上初の日本一に導いた。現役時代の背番号「23」は永久欠番。阪神一筋を貫いたレジェンドが逝った。

 立命大を中退し1953年に阪神に入団した吉田さんは、小柄ながら俊足好打、守備の名手として1年目から遊撃のレギュラーに定着。54、56年には盗塁王を獲得し、64年には打率・318をマークしてリーグ優勝に貢献した。

 「捕るが早いか投げるが早いか」と言われた華麗で堅実な遊撃守備から「牛若丸」と呼ばれ、ファンを魅了した。二塁・鎌田、三塁・三宅、遊撃・吉田の内野陣は試合前のシートノックだけで大歓声がわき起こったほどで鉄壁を誇った。

 17シーズン、阪神一筋でプレー。通算2007試合で1864安打、打率・267、66本塁打、434打点、350盗塁。264犠打と献身的なプレーも光った。遊撃手でのベストナイン9度は歴代最多だ。コーチ兼任でプレーした69年限りで現役を引退。背番号「23」は藤村富美男の「10」、村山実の「11」に続き永久欠番となっている。

 引退後は3期にわたり合計8シーズン、阪神監督を務めた。伝説となったのは、2度目の監督就任初年度の85年だ。ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布らを中心とした強力打線を率い、21年ぶりのリーグ優勝、球団史上初の日本一に導いた。その年の「阪神フィーバー」は社会現象となり、今も語り継がれている。

 指揮官としての優勝はこの1回だけだが、阪神監督を3期務めたのは吉田さんただ一人だ。89年には渡仏。90~95年まで野球フランス代表の監督を務めて「ムッシュ」の呼び名で親しまれ、同国の野球発展にも大きく貢献。92年には野球殿堂入りも果たした。

 ユニホームを脱いでからも阪神愛は変わらなかった。優勝から遠ざかる2022年シーズン中には阪急阪神ホールディングスの角和夫会長とグリーン会談を行い、岡田彰布監督誕生に一役買った。23年、岡田監督率いる阪神は18年ぶりのリーグ制覇を達成。90歳になっても、元気な足取りで甲子園を訪れ岡田監督を祝福した。

 さらに38年ぶりの日本一を成し遂げると、祝福の電話を入れた。岡田監督が日本一の会見で「速攻で最初に電話入ってたのが吉田監督でしたね。監督室に戻った時にね。非常に喜んでました」と明かした。指導者としても才能を発揮した教え子の活躍を喜んだ。

 プロ野球はもちろん、近年は甲子園で開催される春夏の高校野球観戦もライフワークとなっていた。昨年オフに藤川球児監督が誕生し、同11月末にはOB会にも出席して元気な姿を見せていたが、翌12月に入院していたという。天国でもタイガースの戦いぶりを見守り続ける。

 ◆吉田 義男(よしだ・よしお)1933年7月26日生まれ、京都府出身。右投げ右打ち。内野手。山城高から立命大に進んだが、53年に中退して阪神に入団。小柄な体格ながら華麗な守備で、1年目から遊撃手のレギュラーとして定着した。粘り強い打撃と俊足で活躍し、54、56年に盗塁王を獲得。62、64年のリーグ制覇に大きく貢献した。69年に現役引退。75~77年、85~87年、97~98年と3期にわたり阪神の監督を務め、85年には球団創設初となる日本一を達成。また、90~95年には野球のフランス代表監督も歴任した。92年に野球殿堂入り。

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