元阪神キーオ氏が死去 NPB初の来日初年度助っ人開幕投手 3年連続2桁勝利の活躍

 元阪神の助っ人投手、マット・キーオ氏が米国時間1日(日本時間2日)に死去したことが3日、分かった。大リーグ公式サイトなどが2日(同3日)に伝えた。死因は不明。64歳だった。1987年から阪神に4年間在籍し、ナックルカーブを武器に3年連続2桁勝利を挙げるなど奮闘。阪神の“第1次暗黒時代”にエースとして君臨した。

 長身にトレードマークの口ひげ、そして帽子からはみ出したちりちりのブロンドヘアも印象的だった。大きく曲がるナックルカーブと直球を武器に、80年代後半の阪神投手陣を支えたマット・キーオ氏が息を引き取った。

 77年にアスレチックスでメジャーデビューし、80年の16勝を皮切りに3年連続2桁勝利を挙げるなど活躍。9シーズンでヤンキースなど5球団を渡り歩いた後、87年に阪神へ入団した。

 当時の阪神は85年の日本一達成後の“第1次暗黒時代”。キーオ氏は来日初年度、入団1年目の外国人投手としてはNPB史上初となる開幕投手を務めるなど、4年間で107試合に登板し、45勝44敗、防御率3・73、22完投の成績を残す。チームが6、6、5、6位と低迷する中、3年連続でチームの勝ち頭となる2桁勝利を挙げたように、まさに孤軍奮闘の活躍であった。

 もともと内野手だったこともあり、90年の巨人戦で猛打賞をマークするなど打撃面でも活躍。2本の本塁打を放つなど4年間で23打点をマークした。68年に南海に在籍した父のマーティ・キーオ氏も日本で17本の本塁打を放っており、父子で本塁打を記録した数少ない選手でもある。

 引退後は古巣のアスレチックスでGM補佐や球団特別補佐を務め、04年に阪神からFA宣言した藪恵壹投手の同チームへの移籍に尽力したことでも知られる。アスレチックスはこの日、球団公式ツイッターでビリー・ビーン編成部上級副社長が「素晴らしい野球人であり、アスレチックスの誇りでした。選手としてだけでなく、特別補佐としても数年にわたり、豊富な知識を共有できたことは私たちにとって幸運でした」と追悼した。

 2日夜には巨人時代に対戦した野球評論家の中畑清氏が「プロ野球最恐魔球」を特集したテレビ東京系「スポーツウォッチャー」にリモート出演し、キーオ氏のカーブを紹介していた。「顔に向かってくるわけよ。思わず逃げたが、見送ったボールがストライク。翌日から私は先発を外れました。彼のおかげで現役が短くなりました」などと驚異的な変化を熱弁した翌日に伝わってきた訃報だった。

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