昭和の大ヒーロー大鵬死す 最多V32

 巨人・大鵬・卵焼き‐。日本が高度成長を遂げた1960年代に国民的ヒーローとして君臨し、史上最多の幕内優勝32回を誇る元横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)氏が19日午後3時15分、心室頻拍のため都内の病院で死去した。72歳。北海道出身。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。6連覇2回、全勝優勝8回、45連勝などの大記録を樹立した。

 戦後の高度成長期、最も元気だった日本に夢と感動を与えた巨星が、冬の夜空に帰った。

 色白ですらりとした体に正統派の二枚目。大鵬はまさしく昭和の大スターだった。史上最多の優勝32回が物語るように、記録にも記憶にも残る大横綱。柏戸とともに昭和30年代後半から大相撲を彩った「柏鵬時代」は高度経済成長期と重なり、今も輝きを放つ。

 昭和30年代の力士にしては珍しい8頭身の体でスター街道をまっしぐら。1960年初場所の新入幕で初日から11連勝したころは、大鵬が土俵に上がる時間帯に、テレビで相撲見たさに銭湯の女湯が無人になったという伝説もあった。

 納谷氏は生前、「戦争に負けた日本が懸命に立ち上がりつつあり、私も強くなるために必死だった。あの時代は夢や希望に満ちていたものだ」と懐かしんでいた。

 187センチ、153キロと恵まれた体を限界にまで鍛え上げた。「力士は稽古、稽古、また稽古なんだよ」と訴えかけ「体得」という言葉を好んだ。「投げを打とうと思って打つうちはまだまだ甘い。体が勝手に反応して投げる反射神経を磨かなければいけない。徹底的に体に染みこませるんだよ。最近の力士は稽古が少なすぎる。体得の尊さを知ってほしい」と嘆いたのは7年前。当時の朝青龍や白鵬にも「稽古が足りん」と苦言を呈した。

 大鵬の相撲をひと言で表現するなら「負けない相撲」だった。ともに一時代を築いた柏戸が、豪放磊落(らいらく)な性格そのままの相撲で人気を集めたのとは対照的に、大鵬は慎重な性格に裏打ちされた緻密な相撲だった。得意の左を差しても攻め急がず、もろ差しにしてから出ることが多かった。

 引退後に語った「自分より強い力士がいたら、自分はもっと強くなれた」との言葉が、大鵬の強さの本質をよく言い表している。

 近年は自宅療養を続けていた。年明けの10日、現役時代に所属した名門の二所ノ関部屋が初場所を最後に閉鎖するとの知らせを受け「寂しい、わびしい」と何度もつぶやいていた。栄光も不遇もすべてをのみ込んだ巨星は、4人の男孫の角界入りを楽しみにしていたという。

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