ペロ・アグアヨさんが死去、73歳 ルチャリブレのレジェンド、グラン浜田と抗争

 メキシコのプロレス「ルチャ・リブレ」の最も偉大なプロレスラーの1人であるペロ・アグアヨさんが3日(日本時間4日)に死去したことが4日、分かった。73歳。死因は不明。アグアヨさんが活躍したメキシコの大手プロレス団体「AAA」が公式ツイッターで発表した。

 AAAは「AAAは殿堂入りしたアイドル、レジェンドを失ったことを嘆き、悲しんでいます。ペロ・アグアヨ、安らかに眠ってください」と訃報を伝えた。

 また、日本のみちのくプロレスも公式ツイッターで「朝から訃報が。ペロ・アグアヨさんがお亡くなりになりました」と伝えた。

 「浜田さん(グラン浜田)の最大のライバルで、メキシコでは誰もが知るスペル・エストレージャ(スーパースター)、ユニバ(日本のユニバーサル)でも素晴らしい闘いを見せてくれました」としのび、「ツアーを一緒に廻ったルチャドールが亡くなるのはホントに悲しい。心よりお悔やみ申し上げます」と悼んでいる。

 アグアヨさんは1946年生まれ。70年にデビューした。悪役のラフファイターとして鳴らし、75年に王座決定トーナメント決勝でリンゴ・メンドーサを破ってNWA世界ミドル級王座を獲得。新興団体UWAのエースとして活躍し、グラン浜田とはUWA世界ジュニアライトヘビー級、同ライトヘビー級などのベルトを巡るライバル関係を築いた。

 日本では「山犬」の愛称で新日本の常連として活躍し、81年3月に開催されたWWF(現WWE)ライトヘビー級王座決定トーナメント決勝では浜田を破って優勝、初代王者に。82年11月にはカネックと組んで第3回MSGタッグリーグ戦に出場した。初代タイガーマスクとも数多く対戦。日本では一度もフォール負けのないタイガーから、メキシコでの三本勝負で1フォールを奪ったこともある。

 その後も第1次UWF、全日本、ユニバーサルなどにたびたび来日して親しまれた。

 92年にAAAが旗揚げするとエースとして活躍し、国民的な英雄になった。コナンとの一戦は歴史的な名勝負として知られる。必殺技はダイビングフットスタンプ。

 息子のイホ・デル・ペロ・アグアヨもプロレスラーになったが、15年に35歳の若さで、試合中に事故死している。2000年3月には親子で新日本に来日した。

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