落合博満氏に通じる阪神・藤川監督のマスコミとの距離感 ストレートに正解を教えない受け答えにも類似点

 シーズン終了報告を終え、会見する藤川監督。左は阪神・粟井球団社長=阪神電鉄本社(10月31日)
 監督就任会見後、囲み取材を受ける藤川監督=2024年10月
 多くの報道陣に囲まれ引き上げる落合監督(中央)=東京ドーム(2009年10月)
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 今季、阪神・藤川球児監督が球団史上初となる監督就任初年度でリーグ優勝を飾った。史上最速となる9月7日にリーグ優勝を飾った時点では、当時2位の巨人に17ゲーム差をつける圧倒的な独走Vだった。

 球団創設90周年の節目の年にルーキー監督が優勝を飾った背景には、岡田彰布前監督(現オーナー付球団顧問)が整えた豊かな土壌があったことは間違いないが、藤川監督には、2004年に同じく監督初年度でリーグ優勝を飾った中日・落合博満監督と同じにおいを感じた。

 藤川監督は試合後の会見や囲み取材で、「また明日ですね」「本人に聞いてください」「それ以上は言えないですね。まだ戦っていますから」といった発言をする場面が多かった。

 04年から11年までの8年間の監督生活で連覇を含むリーグ優勝4度、日本一1度と輝かしい成績を刻んだ落合監督もそうだった。「それは本人に聞きな」「それはもう終わったこと。こっちは先だけを見ているんだから」といった返答をよく聞いた。

 質問者がどういう意図で聞いているのか、質問者の背後には数多くのファンがいることは理解しながらも、ストレートに質問者の意図に沿って答えることは、チーム、当該選手にとって必ずしもプラスだけに作用しない。優勝、日本一だけを目指す上では、あえて手の内を明かさない、胸の内を見せないことも時に必要であるという指揮官のスタンスだったように思う。

 落合監督は逆質問をよく用いた。「じゃあお前はどう思う?」「どうしてそう思う?」と質問者に問いかけ、その答えには「へえ、そういう風に見てんだ」「まだそれだけしか見てないんだな」と言い、問いに対する正解を素直に伝える手法はあまり取ってこなかった。野球能、観察眼に基づいた“会話”を求めることも多かった。

 落合氏が中日監督を退任した12年。当時現役だった藤川への伝言を託されたことがあった。2人の関係性について落合氏は多くを語ることはなかったが、こういった頼まれごとをされるのは初めてだったから驚いた記憶がある。

 「球児に伝えといてくれ。最近、マウンドで投げてる表情が暗い。楽しそうじゃない。たまにはマウンドで感情を出してもいいんじゃないか。そう伝えといてくれ」

 神宮球場でのアップ中に落合氏の言葉を伝えると、藤川は「落合さん、僕のこと見ててくれてたんですね。っていうか、よく見てますね。落合さんの言いたいこと、よく分かります」と答えた。「なにか伝えておこうか?」というこちらの問いかけに「大丈夫です。自分で伝えます」と毅然とした口調で答えた姿が、今となっては、似た者同士と感じた最初の瞬間だったのかもしれない。

 落合監督は「勝つことが一番のファンサービス。どんな試合内容だろうと、勝って家路に就いてもらうことが監督の一番の仕事。ファンだったら、負けて家に帰るのは誰だって面白くないだろ?あとな、監督の言葉っていうのは、みんなが思ってる以上に重いんだで」と語っていた。

 「現有戦力の10%の底上げがあれば優勝できる」と有言実行した落合監督。当たり前のことを当たり前のようにプレーする『凡事徹底』を打ち出し、頂点を極めた藤川監督。言葉だけでなく、チーム方針などにも共通点を感じる。

 05年、落合監督は阪神にリーグ連覇を阻まれた。藤川監督は吉田義男氏、岡田彰布氏らが成し遂げられなかった球団史上初のリーグ連覇を達成できるだろうか。(デイリースポーツ・鈴木健一)

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