【スポーツ】三沢光晴さんとの約束果たした富士ケ根親方 三沢さんは「下の面倒見が良くて、思いやりのある人だった」
2009年にリング禍で亡くなった全日本、ノアで活躍した名プロレスラー、三沢光晴さん(享年46)の願いが現実になった。大相撲の富士ケ根親方(61)=元小結大善=が三沢さんから贈られた化粧まわしを、今年の九州場所で、十両・西ノ龍(境川)が初めて使用した。親方は「約束を果たせて良かった」と目を細めた。
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エメラルドグリーンの下地に「NOAH」の旧ロゴが映えた化粧まわし。九州場所の序盤5日間、西ノ龍が十両2場所目にして初披露。富士ケ根親方は「三沢さんも喜ぶ。約束を果たせて良かった」と感慨を口にした。
親方が現役時代にその化粧まわしを初めて使ったのも、三沢さんがノアを立ち上げた翌年の01年九州場所だった。10日目に横綱武蔵丸を撃破。7年ぶりの金星に「緑の化粧まわしのおかげ」とコメントしている。
現役時代から仲が良かった元幕内常の山、下村重和さんが営む大阪・千日前のちゃんこ料理店で、三沢さんらと度々会食。下村さんの息子で、幼かった龍太朗を見た三沢さんから「この子が将来関取になったら、譲ってあげてよ」と託された。
龍太郎は近大付中2年で埼玉栄中に転校して相撲を始め、埼玉栄高を経て角界入り。西ノ龍として秋場所で新十両となり、化粧まわしが大相撲で復活した。
親方が三沢さんと出会ったのは89年6月。ケガで十両から落ち、2年ほど幕下にいた頃。全日本プロレスを会場で観戦した。
「天龍さんとジャンボ鶴田さんの試合がプロレス大賞ベストバウトになった日本武道館です。三遊亭楽太郎さん(後の三遊亭円楽)に連れて行ってもらいました。その後の焼き肉店で紹介されたんです。三沢さんはまだタイガーマスクで、膝をケガして欠場していた。気が合って、ずっと仲良くさせてもらいました。東京場所が終わると、よく上野で食事しました」
三沢さんの死去まで続いた交流。「偉そうにしないし、下の面倒見が良くて、思いやりのある人でした。あんなに早く亡くなるとは思わなかった」と残念がった。
西ノ龍は三沢さんの入場曲「スパルタンX」を愛聴。マサ北宮を応援し、会場で観戦する筋金入りに育った。
当時は体が小さく、相撲も未経験だった西ノ龍。親方は「三沢さんが生きていたら驚く。次は幕内で地元の春場所を迎えてほしい」と、さらなる成長を願った。(デイリースポーツ・山本鋼平)
◇富士ケ根 全陽(ふじがね・まさはる)元小結大善。本名・高橋徳夫。1964年12月14日、大阪市浪速区出身。亡き父は元三段目菊葉山で、実家は春場所会場近くの花屋だった。二所ノ関部屋から81年3月場所初土俵、88年3月場所新十両。91年11月場所に新入幕。94年3月場所で小結に昇進した。2003年春場所限りで引退。年寄「富士ケ根」を襲名。13年1月場所後に二所ノ関部屋の閉鎖に伴い、春日野部屋に転属した。幕内通算35場所235勝290敗。金星2。十両優勝3回。



