【野球】ヤクルト古田の「一強時代」を阻止 ベストナイン、ゴールデングラブを2度W受賞も活躍は隔年 「基本、ぼんくらなんですよ」元カープ西山さん

 南海、広島、巨人で20年にわたって活躍した捕手の西山秀二さん(58)は、94年にプロ入り後初めて規定打席に到達しベストナインとゴールデングラブに輝いた。球界を代表する捕手だったヤクルト・古田敦也選手の牙城を崩しての受賞は、広島の先輩捕手である達川光男氏の後継者として周囲に自身を認めさせる転機となった。96年には球団初の捕手での打率3割にも到達し2度目のタイトルも獲得したが、悪いクセも顔をのぞかせたという。

  ◇  ◇

 新監督に就任した三村敏之氏から「俺はドラフト1位の瀬戸を使う。おまえを使う気はない」と宣言された西山さんは奮い立った。キャンプ、オープン戦で瀬戸輝信捕手との争いを制し、93年に続き2年連続して開幕スタメンの座をつかんだ。

 ただ開幕の巨人戦では北別府学投手がKOされて惨敗。2戦目も川口和久投手が一発に沈み連敗スタートとなった。2カード目のヤクルト戦では、死球を受け激高したクラーク選手が佐々岡真司投手に暴行して退場となるなど波乱含みのシーズンとなった。

 翌14日の同カードでは、球界を代表する捕手の古田選手がアクシデントに見舞われた。

 前田智徳選手のファウルチップを右人さし指に受けて骨折。長期離脱を余儀なくされたのだ。

 「古田さんには申し訳ないんですけど、ここはチャンスやと他球団の捕手も誰もが思ったと思うんですよ。ここで一番の成績を残したら、規定打席にいって、ある程度の打率を残したらタイトルを取れるぞと」

 当時のギラついた内面を吐露した。

 全治1カ月以上の診断を受けた古田捕手は6月半ばに復帰したが、故障後は打撃不振に陥るなど成績は振るわず、試合出場数も76試合にとどまった。

 シーズン序盤から苦しんだ広島は6月まで最下位に沈んだが、徐々に盛り返し9月には優勝争いに加わるまでに。最終的には3位に終わったが、西山さんは攻守で奮闘し、自己最多の126試合に出場、初めて規定打席に到達して打率・284を残した。

 「必死でしがみつきましたね。それでなんとか結果を残すことができた。他球団のキャッチャーよりもいい成績を残せたんです。それでベストナインとゴールデングラブの両方を獲ることができた。これでようやく、周りがある程度、達川さんの後継者として認めてくれたんです」

 92年を最後に引退した達川さんの後を受け、翌年に正捕手として起用されたが、常に達川さんと比較され続けた。そんな呪縛からやっと解き放たれた。

 2年後の96年にも西山さんは124試合に出場し規定打席に到達。打率・314とリーグ8位の高打率を残した。規定打席に到達しての打率3割は球団史上初の快挙だった。

 「規定打席に到達したのはこの2回やから。それで2回ともタイトルも獲れたから“高打率”よね」

 94年に続き、96年もベストナインとゴールデングラブをW受賞。94年は古田選手の故障離脱という状況下だったが、96年は堂々とわたりあってのタイトル獲得。「古田さん一強時代の90年代、それを阻止したね」と胸を張る。

 しかし、成績を残すと悪いクセが顔を出したという。

 「ちょっとええ結果が出たら気を抜いてしまうんです。それがまた俺の持ち味でもあんねんけど。結果が出たらほっとして、オフはそれなりに自由に遊んで…。そしたら次の年は全然ダメで。だから成績がいい年と悪い年を繰り返してるんです」

 苦笑しつつ振り返った通り、初タイトルを獲得した翌年の95年、成績は落ち込み、瀬戸捕手の後塵を拝すなど活躍は隔年に。「基本、ぼんくらなんですよ」。西山さんは自虐気味につぶやいた。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。

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