【野球】夜遊びが過ぎたルーキー時代「もう時効やろうから言えるけど…」衝撃告白 地元南海に入団→1年5カ月でのトレード 元広島の西山秀二さん

西山秀二さん
 南海新人選手入団発表、左からドラフト6位安田秀之、4位西山秀二、2位中村弘道、杉浦忠監督、川勝傳オーナー、1位西川佳明、3位広永益隆、5位坂田和隆=1985年
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 野球評論家として活躍する西山秀二さん(58)は、捕手として南海(現ソフトバンク)、広島、巨人の3球団で20年のプロ生活を送った。1985年度のドラフト会議では近鉄、南海の2球団から4位指名され、抽選での南海入りだった。19歳で念願のプロ野球選手となった西山さんだが、地元・大阪のチームに所属したことで野球だけに没頭する1年目とはならなかった。

  ◇  ◇

 規律の厳しい高校時代は、甲子園出場というチームとしての大きな目標もあり、私生活も含めて真摯に野球に取り組んできた。だが、若くして地元の大阪でプロ野球選手になった西山さんは、練習と同様に遊びにも熱中してしまったという。

 「南海やから、やっぱり近くに友達がいっぱいおるから。夜な夜な友達と遊びに行ってしまうというのはあった。中途半端に小銭ももってるし。最初から広島とか、よその球団やったら、大阪を離れてたら、友達もおらんし、そんな夜な夜な遊んだりせえへんかった」

 親の庇護から離れた解放感。プロ野球選手として自分でお金を稼ぐようになった高揚感。西山さんはやんちゃだった19歳当時の自分を省みた。

 新人選手は大阪・堺市にあった中百舌鳥球場に隣接する「秀鷹寮」での寮暮らし。当然、門限を始めとする寮の規則はあったが、寮長の目を盗んで夜の町へと出かけた。

 「今はもう時効やろうから言えるけど、寮の合鍵を持ってたんです。非常口の。だから夜も出入り自由やった」

 合鍵をこっそり作ったことで、玄関近くにある寮長の部屋の前を通らずに、目立たない非常口から出入りすることができていたという。

 そんな生活を続けながら2軍暮らしの1年目は終わった。秋季練習が行われていた12月、夜遊びが明るみに出る事故が起こった。

 12月16日の深夜、寮を抜け出し、先輩が運転する車に同乗して3人でミナミに飲みに行こうとしたところ、交通事故を起こし大騒動となったのだ。

 「あと3日でオフという時やった。自分は頭にガラスが刺さって、顔がちょっと腫れたぐらい。1人は腕を骨折した。そのまま寮は閉鎖になって、無期限の自宅謹慎になった」

 命にかかわる事故にならなかったのは不幸中の幸いだった。西山さんは大阪・八尾の自宅に戻った。翌日の新聞各紙に事故は大きく取り上げられていた。

 「19歳やったけど、1面に顔写真入りで載ってた。うちの親は新聞を全紙買いに行ってたね」

 苦笑交じりに若気の至りが招いた騒動を回想した。

 翌年5月、西山さんはシーズン途中で広島にトレードとなった。就任2年目の杉浦忠監督が率いるチームは前年の最下位から一転、春先を好調に滑り出していたが、手薄な内野の補強に動いた。当時9年目の森脇浩司内野手、8年目の永田利則内野手の2選手を獲得。西山さんに金銭がプラスされての交換トレードだった。

 「1日も早く1軍で活躍できるよう精いっぱい頑張りたい」

 両球団がトレードを発表した翌5月16日付のデイリースポーツには西山さんのコメントが残っている。

 19歳、入団から1年5カ月でのトレードは異例ではあった。

 「普通2年目の選手やったら出さんけど、こいつどうぞ、ってなっちゃうよね。南海にとって、いい話やったんやないですか。結局、それがあったから出されたというか、トレードで好きに連れて行ってくれということやないですかね」

 西山さんは自虐気味に自身がトレードになった理由を語ったが、その背景には、将来のある若手を手放してでも補強をしなければならない南海のチーム事情があったのだ。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。

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