【野球】90年代の広島の正捕手、西山秀二さんがナンバーワン投手に「桑田真澄」の名前を挙げる理由

 南海(現ソフトバンク)、広島、巨人の3球団で20年の現役生活を送った西山秀二さん(58)。1990年代の広島では達川光男捕手の後継者として活躍し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞も2度受賞した。幾多の名投手の球を受けてきた西山さんが、唯一無二の存在に挙げるのが、桑田真澄氏だ。大阪・八尾での中学時代にバッテリーを組み、23年後に巨人でコンビを復活させた桑田投手に対する思いとは。

  ◇  ◇

 軽妙な関西弁トークでテレビのスポーツバラエティー番組やYouTubeにひっぱりだこの西山さんが、必ずといっていいほど聞かれるのは、これまで受けた中で最強のピッチャーは誰かという質問だ。

 西山さんが挙げる名前は「桑田真澄」。ただ、本当の意味で最強であることを認識するまでには、随分と時間がかかったようだ。

 「プロ野球に入って初めて桑田のすごさが分かった」

 感慨を込めた言葉が意味するのは、プロに入って初めて、桑田投手が中学時代からいかに特別な存在だったかに気づいたということである。

 同じ大阪・八尾で生まれ育った桑田投手とは、同市の大正中学で初めてバッテリーを組んだ。のちにプロで活躍する2人が主力のチームは無双状態だったが、高校進学を機に別々の道を歩むことになる。

 上宮高から南海に入団した当時を西山さんが振り返る。

 「プロ野球のピッチャーって、プロ野球だから構えたとこに投げられるもんやと思ったわけです。そしたら、どう来るか分からん。これを受け出した時に、あっ、桑田ってすごかったんだって改めて思ったんですよ。プロのピッチャーより、余裕で中学の時の桑田の方が全然ええピッチャーやんかって。こんなんでプロ野球のピッチャーなのって思ったんです」

 新人捕手はブルペンでプロの投手に初めて接し、衝撃を受けた。プロの投手の投げる球は速さがあり、変化球のキレもよかったが、それらをコントロールする技量が伴っていなかった。自身のはるか手前でバウンドする変化球を目の当たりにして、桑田投手との違いを痛感した。

 暴投を捕球しきれずコーチに怒られた西山さんは思わず本音をもらした。

 「中学生の桑田はここって構えたとこに投げてましたよ。プロ野球のピッチャーは投げられないんですかって言ったら、バカかおまえはって怒られたんです。けど、俺らはそれが当たり前やったから」

 中学でバッテリーを組んでいた当時の桑田さんは、構えたところに難なくボールを投じてきた。正確無比な投球しか知らなかった西山さんは、その制球力が普通のこと、当たり前のことだと思い、すごさに気づいていなかったのだ。

 「桑田はまっすぐと、現役の時に投げてた大きいカーブと、スラーブみたいなのと、ちょっと曲がるスライダーの3種類の変化球を投げてた。中学生で3種類投げて、まっすぐが速くて、コントロール抜群でって、そりゃあ打たれへんよね」

 改めて当時の桑田投手がいかにずばぬけた存在であったかを認識するに至った。

 「あのプロで投げてた桑田が、そのまま中学で投げてたと思ったらいいんですよ。打たれるわけないじゃないですか。俺はそういうイメージ。プロ野球で見てた桑田も、中学の時の桑田と一緒なわけです」

 いいピッチャーであることは、もちろん分かっていた。だが、そんな桑田投手の球を普通に受けて、普通に打っていたから特別視はしてなかった。PL学園に進んだ桑田投手が1年生エースとして甲子園で活躍する姿も、巨人入りして2年目で最優秀防御率、沢村賞を受賞したのも納得の活躍であり、西山さんにとっては驚きではなかったのだ。

 「だから総合的に僕にとってはどこまでいっても、やっぱりナンバーワンのピッチャーって聞かれたら、やっぱり桑田になるんですよ。なんでもできたし。けん制もフィールディングもうまかったしね」

 そう結論づけた。(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。

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