【野球】「キヨに逆転2ラン打たれて、それで終わった」上宮を打ち砕いたPL清原選手の衝撃の場外弾 広島の正捕手務めた西山秀二が衝撃の一戦を回想

 広島の正捕手として1990年代に活躍した西山秀二さん(58)は、大阪・八尾の大正中学から上宮高校に進んだ。中学時代にバッテリーを組んでいた桑田真澄投手(現巨人2軍監督)はPL学園に進学、清原和博選手とのKKコンビは大阪のみならず、高校球界を席巻する存在となっていった。上宮の4番捕手として一度だけ公式戦でPLと対戦した西山さんが、桑田投手を「メッタ打ちにして勝ちかけた」という一戦を振り返る。

  ◇  ◇

 上宮とPLに別れた2人の対戦が実現したのは1984年、高校2年時の10月、秋季近畿地区高校野球、大阪府予選の準決勝だった。

 西山さんは4番捕手として出場。PLの4番は清原選手(西武、巨人、オリックス)、桑田投手は5番だった。上宮は二回に2点を先取されたが、調子が上がらない桑田投手をジワジワと攻め逆転に成功していた。

 「七回を終わった時点で5-3で勝ってたんですよ」

 西山さんの脳裏には、そこから暗転した試合経過が鮮明に刻み込まれている。

 「いよいよ勝利が見えてきたなっていう八回表に先頭バッターにポコンってホームランを打たれて、次にフォアボールを出して、そこでキヨ(清原)に逆転2ランをバンと打たれて、それで終わったんです」

 日生球場の左翼席を越え場外へと運ばれた特大弾で空気は一変。その回、PLに7点を奪われ試合の行方は決まった。5-11での敗戦だった。

 「あの頃、大阪で唯一PLに勝てるとしたら、上宮しかないって言われてた。唯一、うちが桑田をメッタ打ちにして勝ちかけた。もうノックアウト寸前やった。俺は2ランだけやったけど、3番のヤツもすごかったしね」

 3番打者は4安打2打点を挙げ、自身も2ランを放った。桑田投手にチームは10安打を浴びせ5点を奪ったが、手中に収めかけた勝利をものにすることはできなかった。

 上宮は痛恨の敗戦を引きずるかのように3位決定戦で桜宮に2-5で敗れた。

 「PL以外には負ける気がせんかったけど、実際は負けた。高校野球はやっぱ分からんわね。大阪大会で上位3着までしか近畿大会に出られない。その時点でセンバツは無理やから」

 3年時のセンバツ出場の夢が事実上断たれたその夜、西山さんは入院した。PL戦終了後に症状が出ていた盲腸が悪化、夜に痛みが出て病院に行ったところ「すぐ切った方がいいと言われた」。敗戦、手術のダブルパンチだった。

 3年の最後の夏は5回戦で東海大仰星に0-2で敗れた。

 「ヤクルトに入った小坂(勝仁)に完封されたんです」

 高校野球のラスト試合を淡々と振り返った。

 その東海大仰星を決勝で破ったのはPLだった。17-0の圧勝。清原選手が2本塁打を放ち、桑田投手は完封を飾った。

 桑田、清原両選手はPL1年時に夏の甲子園で優勝したのに始まり、3年夏まで5季連続で甲子園に出場した。

 甲子園に行けなかった心残りを尋ねると「まあ、そんなに気にはしてなかった。別に甲子園、甲子園いう感じでもなかった。負けたな、というレベル」。西山さんはサバサバと返答した。

 「甲子園への近道」としてPLにあこがれていた中学時代から時は流れた。

 「上宮へ入学して、無我夢中で練習についていってやってたら、気づいた時にはプロへの道も開けてたから」

 次なるステージが目の前には広がっていた。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。

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